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コラム/
歌は届かない


《歌》の「リアル」とはなにか?

 オーディオにおける世の“ハイレゾ・ブーム”に音楽は、そして《歌》はどうあるべきか。メディアにどうついてゆくべきか。最初はそんなことをテーマにして考えてみようと思った。しかし――。

 やがてハイレゾのありがたさや贅沢さは、時が経てば考えもしなくなるだろうが、忘れてはならないことがある。音楽あるいは《歌》は、人の心の風だ。その風の本質とは、いったい何であろうか。おそらくそれはいつの時代も変わらない何かのはずだが、そのことを忘れてはいないだろうか。
 「何が本質か」というのが問題ではある。音楽というのはむしろ、リスナー側が嗅ぎ付ける性質のものだと思う。耳に入った音楽を嗅ぐ。嗅ぎ分ける。そういうふうにして好きな音楽やアーティストを嗅ぎ付けるリスナーの存在がなければ、音楽は単なるノイズに過ぎない。
 ともかく、表層的には、ハイレゾリューションというのは音楽の深みを「リアル」に近づかせてくれる。リスナーがそう感じてくれる。信じ込めば、さも生々しいヴォーカルが目の前で歌っているかのような「リアル」を、体感できる可能性がある。

 これ以降は、《歌》や歌唱に関する、私の経験則に基づく、歌う側の感覚の話となる。言うなれば、《歌》の「リアル」について語る、私自身の備忘録である。

 私が《歌》を歌う時、「四畳半ゾーン」というのを意識する。言い換えれば、四畳半の中で歌うことを常に意識する。たとえ歌う場が大ステージであったとしても、だ。
 「四畳半で歌う」とは、どういうことか。
 そもそも四畳半とは、どれくらいの面積だろうか。大まかに言えば3メートル四方だと思うが、この範囲内に《歌》が届く歌い方をする。ただしこれは、単純に声量としての声が届く範囲という意味ではない。

 聴く人に《歌》というドラマや物語を「リアル」に表現する(伝える)ための、最も適した大きさが、四畳半。歌詞があり、メロディがあり、それを歌い手が感性と技術とを織り交ぜて歌う。それをひっくるめて歌う技術とするならば、人は、四畳半以上の大きな空間で、生身の人間としての「リアル」を伝えることができないと考える。人と人とが距離を置けば、どんどん装飾や嘘が生じてくる。だから最も大切な話をする時は、四畳半ゾーンに相手がいることが望ましい。想像してみて欲しい。10メートルも離れた相手に、今自分の喜怒哀楽を、情緒豊かに話すことができるであろうか(パントマイムで伝えることはできるかも知れない。ただしこれは《歌》にはならない)。

 《歌》の「リアル」とは、「四畳半ゾーン」にいる何者かにメッセージを伝える(=歌う)ことを指す。このことのみ私は歌う技術としたい。それ以外はすべて、歌真似もしくは虚構だ。

 ところで、「四畳半ゾーン」で歌う《歌》を、マイクロフォンで収音して電気信号化する。これを記録したり、拡声装置に繋げば、「四畳半ゾーン」の外側にいるリスナーにも(世界中の、いや宇宙のどこの誰に対しても)、「リアル」を分かち合える。マイクロフォンという道具とその再生装置は、擬似的に「四畳半ゾーン」の《歌》を電気信号化して聴くことができる魔法のアイテムだ。私はこの魔法のアイテムが大好きである。

そして《歌》は届かない

 その《歌》に、「リアル」が感じられたとしても、歌う側の私としては、その「リアル」の中身の真理や核心部分は、「聴く人に決して伝わらない、伝わっていない」ということを意識する。これはきわめて重要なことである。
 もしその《歌》の中身、「リアル」の中身が聴く人に充分に伝わったと確信が持てるのなら、私はもう歌うのをやめなければならない。

 伝わらないから、歌う。伝わっていないから、歌い続ける。
 《歌》は決して、届かない。心に響かない。
 それを感じ取りながら、私は《歌》を歌う。これは皮肉でも諦念でもなんでもない。まさしくこれが《歌》の真理なのだ。

 私は、誰か人を頭に思い浮かべて歌うのではなく、「一本のロウソク」を思い浮かべて歌う。なるだけそうしている。あのゆらゆらと小さな炎を上げるロウソクを思い浮かべるのだ。
 その一本のロウソクに向かって、私は歌う(語る、話しかける、祈るように)。
 ロウソクに向かって歌ったところで、ロウソクはなんの返事もしない。笑顔もないし、逆に怒りもしない。ただ想像の中でゆらゆらと炎を上げているだけにすぎない。しかし、ロウソクを想像する時、歌は(相手に)届かないな、と実感できる。何人に対しても、歌はその人の心に届かないことを、思う。

 だからこそ歌い続ける。
 《歌》は届かない。通じない。叶わない。まったくの無力だ。故に《歌》なのである。歌う意味の本質は、まさにそこにある。

〈了〉
(2015.01.05)

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