>>>Utaro's Music Site
Electro Pop/Movie/Podcast

コラム/
コロナ禍の先の小型映画づくり

  
 私は小さな映画を創っている。始動は2019年である。

 その途上、コロナ禍によって人と人との交遊が寸断されてしまった。すべての創作活動が停滞した。
 未知のウイルスとの闘いにおいては、不要不急の外出を控えたり、3密(密集、密接、密閉)を避けるといった感染予防対策が効果的だと言われた。当然、そうしたことが直接的あるいは間接的に人の命を救う最善策となり、推奨されるべきものであった。が、従来の複数スタッフによる創作活動を継続するには、抜本的に活動形態を見直すことが迫られ、特に緊急事態宣言下では、公共施設そのものが使用不可となったりして、活動の計画全体を掌握することは、ほとんど不可能な状況にまで追い込まれたのである。
 
 本来、創作とは、人と人とが密になり、手を合わせ、コミュニケーションを通じて完遂していく作業であった。そうでなければ、心の通った作品は生まれ出てこないからだ。密になり、閉鎖的な空間の中で肉体と精神を研ぎ澄ますことは、それすなわち創作現場として当たり前のことだったのだ。
 コロナ禍は、それを不幸にも寸断してしまった。インターネットなどの通信手段を駆使して、人との交流はかろうじて図れるものの、協同で物づくりを推し進めなければならない技術的修練というものは、その多くが欠落してしまった。本来的には望ましくない状況であり、創作の密を徹底的に疎遠化するソーシャル・ディスタンシングは、創作の根本を変えてしまったのである。
 

 しかし、非協同的な創作作業は、逆説的に新しい創作の在り方の模索ともなった。人とは何か、なぜ人は、ものをつくるのか――。そうしたことを根本から見つめ直す、長い猶予の時間にもなったのだ。
 
 私にとって、小型映画を創る意義とは何か。演劇なものを映像化していく、あるいは映像の断片を演劇化していくのが映画の醍醐味であるが、この敷衍の先にこそ、より手応えのある創作の鍵があるのではないか。それを私は、コロナ禍を逆手に取り、こじ開けてみようと思ったのである。
 

私の映画づくりの基本理念
◎シュルレアリスムをつらぬくこと
◎温故知新
◎経験と想像の融合
◎映像美は動的構図と造形によって創り出す

 
 映画とは、「限られた時間に実存した生命(人や動植物)とエネルギー(自然現象、物の移動化)をとらえ、光学的に記録し、作為的にモンタージュ化した映像芸術」である。もし映画を学ぶとするならば、ここにある連なった文言を因数分解し、その一つ一つを丹念に探究していくべきなのだ。

〈了〉
(2021.02.21)

制作・レコーディングに関することはDodidn* Blog!

[Dodidn* blog]主な関連ログ

§ Equipments Column