
魔界の穴にすべり落ちたような不思議な文体を持つ翻訳家・岸本佐知子さんのエッセイが私は好きだ。すでに虜になってしまった。もう3度目となるが、またまた岸本さんのエッセイから話を膨らませたくなった。筑摩書房のPR誌『ちくま』2024年12月号(No.645)、岸本さんの連載「ネにもつタイプ」。「ゆらぎ」というタイトルのエッセイ――。ちなみに前回紹介したのは、「何もかもがわからないということ」。こちらも実に摩訶不思議なエッセイであった。
岸本佐知子さんの「ゆらぎ」
扇風機と夏休みの関係
夏のあいだに押し入れから出しておいた扇風機を、岸本さんはしまい込んだそうである。
そもそも使わなかったらしい――。
謙遜して狭い家で…と述べているが、そんなはずはなかろう。しかしながら、クーラー(エアコン)を利用していたために、一度も扇風機を使わなかったそうだ。そういうことはよくあること。岸本さんいわく、《もう扇風機の出番はあまりない。もしかしたら、すでに役目を終えた電化製品なのかもしれない》。
そうはいっても扇風機は捨てられないそうである。使わなくても、夏になると押し入れから出してきて、部屋の隅に置く。で、結局やっぱり使わなかった…。それでまたしまい込む。されど捨てられない。毎年その繰り返しだ。そんな扇風機を、岸本さんは《人っぽい》と述べる。
たたずむ、うつむく、首を振る。動いているときは懸命に職務を果たしているように見えるし、使われずに部屋の隅に放置されていると、心なしか意気消沈しているように見える。慰めたくなる。
『ちくま』2024年12月号、岸本佐知子「ゆらぎ」より引用
ちょっとだけ話の腰を折るが、扇風機の歴史はなかなか古い。
明治27年に日本で初めて電化した扇風機(=Electric fan)が発売されたようである。大正期になって一般の家庭にも大普及し、昭和40年代後半ともなると、扇風機はほとんどの家庭に有るものとして、竹内涼真さんではないがいわば“クール・クーラー・クーリッシュ”な家電として真夏の需要性ナンバーワンだったのである。ラクトアイスよりも。たぶん。
だから、日本人にとって扇風機のありがたみはよくわかっているし、日常生活に無くてはならない必須の家電であり、またこよなく愛された、と思う。
岸本さんのエッセイでは、子どもの頃の扇風機の思い出も綴られている。扇風機に顔を近づけて、「あー」とやる。「あー」が震えてきこえるのである。これは誰しもやった経験があると思うが、なんだか異次元の「あー」にきこえるから不思議なのであった。子どもじゃなく、おじいちゃんがやってたりすると、さらに不思議な気がした。そういう思い出が私にもある。
蛇足ついでに恐縮だけれど、子どもの頃の私の夏休みの過ごし方についてふれておく。
扇風機を押し入れから出してくると、いよいよ夏が始まったな、という気になったものである。夏休みになると、早朝、ラジオ体操のハンコをもらうために町内の公園に出かけていって、さささっと体操をしてくる。帰ってきてから朝ご飯。アサガオに水をやり、親たちが仕事場に出かけていった後、テレビのNHK教育チャンネル(今はEテレ)をつけて諸々の学習番組を観る。たまには日テレの「ルックルックこんにちは」も観ていた。真面目なんだか不真面目なんだかよくわからない子どもだった。でも、それがなぜかルーティンになっていた。
午前中にだらだらと宿題に手を付ける。やっている感だけの、“勉強してるふり”だから全く身にならない。嫌々やるので、ろくに進まないのだ。算数の計算ドリル、国語の漢字ドリルなど。
午後からは、かなり開放的な気分となって、学校のプールに出かけたり、友達の家に遊びに行ったり。日曜日には父親にどこかに連れて行ってもらったりとか、近所でお祭りとか、何かしらのイベントがあった。なので、夏休みはそれなりに忙しかった。
あの頃、テレビでどういうわけだかよく浪曲が流れていた。夏に浪曲。怪談もののテレビ映画でも、劇中、登場人物が浪曲を口ずさんでいたりしたから、けっこう耳に残っているのだ。それもまた、私にとっての夏の風物詩的な思い出なのであった。
ゆらぐ扇風機
閑話休題。
やはり岸本さんは、扇風機が好きなのである。岸本さんの家にあったいちばん古い扇風機が《首も振らない、強弱のスイッチもない原始的なモデル》だったというから、相当古い時代の話だろう。すでにその頃から《人っぽい》と思っていたのだろうか。
ごく近年の話だと思われるが、今ある扇風機の先代の扇風機には、「1/fゆらぎ」というスイッチがついていたそうである。「1/fゆらぎ」。聞いたことがある名だ。冷静に考えると、スイッチの名称としてはかなり固執した、固有の性格を表したスイッチではないか。
岸本さんの家にあったその扇風機は、たぶん、パナソニック製の「F-CJ327」ではないかと思われる。
「F-CJ327」は、すっくと垂直に伸びたシンプルな形状の扇風機で、温度センサーが機能する。決して安価な扇風機ではない。もちろんこの機種に「1/fゆらぎ」スイッチがある。室内の温度ムラをスピーディに抑制するのだという。
「1/fゆらぎ」とはいったい何か。
自然界にあるゆらぎ――例えばろうそくの炎のゆらぎとか、ホタルの光のゆれとか、木漏れ日の陰陽の強弱だとか、髪のゆれなどもそうであるという。そうした自然界のゆらぎの法則により、擬似的に風のゆらぎを再現したのが「1/fゆらぎ」。そういうスイッチのある扇風機――ということになる。
この「1/fゆらぎ」を研究したのが、物理学者の武者利光という方で、東大の理学部物理学科出身、東京工業大学の名誉教授である。
「1/fゆらぎ」はヒトの生体にリラクゼーション効果をもたらす…。私の家に講談社のブルーバックスのバックナンバーが何十冊も保管されているので、もしかするとその中に、武者氏の本『ゆらぎの世界 自然界の1/fゆらぎの不思議』があるかもしれない。難しそうだが、さがしてみて読んでみると面白いかもしれない。あればの話だが。
私もあなたもゆらいでみればいい
「1/fゆらぎ」がヒトの生体にリラクゼーション効果をもたらす…のだとすれば、私が、又はあなたが、ヒトとのコミュニケーションの際に「1/fゆらぎ」をもって接すれば、相手の方もその当たり障りが心地よく感じられるはず――という仮説は、成り立つのではないか。まるで風のゆらぎのように――。
仮説としては成り立つかもしれないが、具体的にどうやって、自分の中から「1/fゆらぎ」的な対話法なり接し方なりを制御していけばよいのか。そこが難しい。
しかし、もしそれが可能なら、私も、又はあなたも、ヒトに絶対「愛される」はずである。ヒトに限らず、飼っているイヌやネコやトリにも「愛される」に違いない。岸本さんが機械の扇風機を《人っぽい》と愛したように、カレもカノジョも私やあなたのことを、〈人っぽいじゃないこのひと。かわいらしいわ〉と思ってくれるかもしれないのである。
よし、「1/fゆらぎ」ニンゲンになれ。
ゆらぎのあるヒトになってみたい。
あなたなら、なれる。
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