仰げば尊し
厳かなる卒業式
昭和60年3月――。繰り返し繰り返し、予行演習を重ねて本番を迎えた小学校の卒業式は、私にとって生涯忘れ得ぬ思い出となっている。
あれから幾度も時代が過ぎ、《卒業式》の有り様と価値観がどれほど変容したかについては、私自身、あまりよく知らないし、ここでそれを述べてもあまり意味はないと思う。
はじめに蛇足を加えておきたい。
現行の教育観念では旧制的で信じられないと思われるかも知れないが、その当時はまだ、中学校では男子生徒はみな“丸坊主”が原則であった。原則というより、三分刈り以上の長髪はそもそも絶対的に禁止であった(女子生徒の場合は、髪は肩に掛かってはならず、生まれつき以外のパーマネントは禁止。短髪以外の長い髪は後頭部で束ねなければならないという校則であった)。
男子=丸坊主ということが、我が町における(当時の)中学生「らしさ」の象徴であり、言い換えれば、「らしさ」の押しつけであった。その由来は当然、戦前の軍隊における集団的秩序の固持と規律を重んじた古ぼけた感覚からくる。一部、成長期である中学生の衛生上…などとこじつけた理屈を述べる先生もいた。
いずれにせよ、小学校の卒業式を前にして、卒業生はみな、その旧態依然とした中学校の校則のために、規定通り坊主頭に散髪しなければならなかった。まずこれが、私の記憶にある一つの、卒業式にまつわる光景の思い出となっていて、クラスの中でいちばん坊主頭を嫌った私が渋々、最も卒業式に近い日に髪を切ったことが、禍々しい記憶ともなっている。さすがに丸坊主を拒否した児童は一人もいなかったが。
丸坊主と校則の話は、あくまで蛇足である。その時代の雰囲気をいくらか知ってもらうために書いただけのことだ。
卒業式自体に嫌な思い出があったかと言えば、それはそうではない。
式典の中に、卒業生が歌う「仰げば尊し」が組み込まれていたことが、予行演習を繰り返す私にとって、学校と訣別する寂しさへの、癒しの希求となった。
その間、私はこの曲にどっぷりと浸かった。惹き込まれた。確かに、いま考えれば、この曲もまた丸坊主同様、その旧態依然とした歌詞に違和感を覚えても不思議ではなかったのだが、この曲の重たい調子とその時の自己の心情とが多分に連関していたこともあって、そんなことは考えもしなかった。
母校の校歌斉唱で始まった式典は、証書授与の儀と在校生の送辞、そして卒業生の謝辞を挿み、クライマックスの「仰げば尊し」で幕を閉じた。
その全体の粛々とした雰囲気は、緊張と昂揚とによって相乗し、「仰げば尊し」を歌い終えた時点でその張り詰めた糸が切れた。そうした感覚的経験が、この曲を耳にするたびに不思議な緊張感を醸し出す分泌腺となって、音と記憶とが揺さぶり合う特別な曲――という思いをずっと抱く素因となっていた。
そうであった。私自身もあの時、あの場所でこの曲を歌ったのだ。皆と共に、言葉にならない気持ちを抱えながら。
もう一度歌おう――。あの頃の、あの日を思い出して。友への感謝と、恩師への畏敬と、自分自身を振り返るために。
卒業生…
在校生…
職員…
起立!
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