私のラジオの思い出

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年8月17日付「私のラジオの思い出」より)。

 中学生時代、仲間達を募って“ミニFM放送”というちっぽけな電波を飛ばして、「ラジオ番組ごっこ」をして遊んでいました。
 『サウンドレコパル』という月刊誌に、夏場の海水浴場ではミニFM放送局というのがあって、夏季限定で開局してラジオ番組=DJを放送していて、海岸に行けばそれを聴くことができる云々の記事が載っていました。仲間内でそれをやってみようと思い立ち、自宅のラジカセにFM用のトランスミッター(送信機)を据え付け、外部端子にはマイクロフォンも装着し、DJをやりながらカセットテープの音楽を流すという「ラジオ番組ごっこ」です。
 電波といっても微弱な電波のため、実際に半径100メートル程度しか飛びません。しかしそれでもラジオはラジオです。
 これがはまりにはまって、いろいろな番組名や番組企画を考えては、中学生時代のおよそ2年半くらい継続して、毎週土曜の午後に確実に「放送をしていた」のです(受験勉強もろくにせず)。仲間のレギュラー陣の他、普段遊んだりしないクラスメイトもゲストとして飛び入り参加させては、強引におしゃべりをしてもらって、日頃の生活の話題や学校での珍事件などをネタにしてトークを楽しみました。これらの放送を別のラジカセでエアチェックしたりして、けっこう番組ライブラリーのカセットテープが貯まったものです。
 今日の午後、先週の大掃除を済ませた後のレコーディング部屋に、37度近い室温で汗を大量に掻きながら、新しいデスクを組み立てて、とりあえずそこにアナログミキサー、Mackieの「1604-VLZ3」仮置きしました。これにより、分断されていたエフェクター類は1箇所にまとめることができました。
 7年近く使用していたRolandのVS-1824CDをいよいよサブ卓とし、メインをこの1604-VLZ3に切り替える理由の中には、アナログかデジタルかといったような次元の話を飛び越えて、卓のモジュールには物理的なトリムやEQやAUXがやっぱり欲しいという回帰論が結論としてありました。無論、良質な卓でなければならないけれども。
 Pro Toolsのような箱庭的な一つの考え方があり、もう一方でやはりベーシックな、ある意味クラシックなやり方を残していきたいという気持ちがあって、それは単なる気分の問題ではないのです。“音響芸術”というエンジニアやクリエイターとしての領分を考える時、何かロジックには起こし得ない経験的な感覚の多様性を無視したくないと思いました。私にとっての経験的な感覚の多様性とは、まさに中学時代の「ラジオ番組ごっこ」におけるラジカセの使い方であり、昨年の12月のブログでも触れた、ブルーノートのルディ・ヴァン・ゲルダーが1本のモニタースピーカーでステレオ音源を操るといった奇々怪々なるテクニックも、言ってみれば経験的な感覚の多様性であると私は確信しています。
 話が前後しますが、今や『サウンドレコパル』や『FMレコパル』といった気の利いた雑誌がないのなら、やはり新聞のラジオ欄をそれに呼応させるしかありません。なかなかどうして、新聞のラジオ欄でありながらけっこう役に立ちます。しかしそこに、大人向けのグッとくる番組やミュージックが果たしてどれだけあるのかと言えば、なんとなく言葉が詰まる思いがします。
 そんな中、インターネットで「サイマルラジオ」というのを発見。どうもこちらの方が、より往年のラジオの味が染み入っている気がします。(※ここでラジオを聴くには、Windows Media Playerが必要です。)

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