※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2011年4月12日付「『ENDLESS NAMELESS』のこと」より)。
2011年3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から1ヶ月、強い揺れを伴った余震が相次いだ。携帯電話で「緊急地震速報」という警報メールの非常音がけたたましく鳴り、必ずしも正確ではないにしても、その直後にぐらりと揺れる。
身の安全を確保した後、揺れが小ぶりになったのを安堵しつつ、テレビあるいはラジオをつけ、地震速報をチェックする。――そうして気を落ち着かせて日常生活に戻る。
だが余震は断続的に発生するため、「日常生活に戻る」というのは束の間のことでしかない。またもや警報メールが鳴り響き、即座に身の安全を確保する。あくまで「日常」はこれの繰り返しなのである。
ニルヴァーナの「ENDLESS NAMELESS」は恐ろしいと思っていたが、これを深夜に聴いている最中、警報メールが鳴り、ぐらりと揺れると、次第に、「ENDLESS NAMELESS」は可愛らしいと思えるようになった。もともとあれが“恐ろしい曲”であるかどうかは、私の主観に過ぎなかったのだが。
アルバム『NEVER MIND』の12曲目、「SOMETHING IN THE WAY」――
《And I’m living off of grass
and the drippings from the ceiling
But It’s okay to eat fish
cause they haven’t any feelings
something in the way》――
の後、10分間の無音が続く。一切の音が鳴らない。そして突如、ドドドドドというドラムビートで始まるのは、何か“地震”を連想させるものであった。激しい混沌としたエレギのリフが左右に揺らめく。怒号、叫びのようなヴォーカル。まるで鼾のような腑抜けな声。あまりに低音で何を発しているのか判別のつかない声のノイズ。
こんな滅茶苦茶な曲があるものかと、頭を抱え、思考停止になったのは、震災前のことである。今となっては、この曲の中枢に、しっかりと人間の《日常》が在るのがわかる。感受できる。それを総じて、「ENDLESS NAMELESS」を理解したということにならないが、あれほど心理的に隔たり感のあったニルヴァーナの面々に対して、逆に近親者的な懇意すらも感じるようになったのだから不思議だ。
落ち着きをみせない「緊急地震速報」が再びけたたましく鳴る。《私》という心が、魂が、不安のせいで肉体から遊離するかのような感覚さえある。
そうなのだ。この世で最も恐ろしいのは、《無音》であり続けることなのだ。
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