【小沢健二「それはちょっと」】 |
ごくごく近いある夜、バッカスがお呼び立てした「宴」が急遽中止となり、ぽかんとした気分でいたところ、俄にその中止の原因が、水面下による、人間の心の疚しく愚かしい《嫉妬》の仕業だと知り、私は心許なく落胆した。水入りである。
出席者同士の対立というのではないのだ。その人にとって不都合な、不条理と思える局面を理性によって目視静観することのできない利己的な「不安」と「気弱さ」が、事の推移を有為に堰き止め、出る杭を事前に打って抑えつけたのである。こうなると、歌によって何事かを表現することが使命の私にとっては、真っ白になってしまう。何もできない。混迷の一瞬とはまさにこのことであり、舞台の板を外されること、あるいはマイクロフォンのケーブルを外されることは、不本意ながら、私の最も怖れる事態なのである。
直感というのは恐るべき妄想を生む。そうした顛末の渦中、遠い彼方にいるオザケンのことを想った。私はあまりオザケンのことをよく知らない。知らないが、ただ、1995年のあの曲だけは、特別だ。その頃のテレビ・ドラマ『部屋においでよ』(うちにおいでよ。主演は清水美沙、山口達也)で主題歌だった、「それはちょっと」。なんて懐かしい、22年前の曲。久しぶりにそれをプレーヤーにかけて聴いたのだった。
想えばその時以来、私の関心事はオザケンに及ばなかった。いつの日にか気づいた頃にオザケンは第一線から消えてしまった。その消えた理由について、何かそこには不条理な、愚かしい《嫉妬》であるとか、出る杭が打たれ舞台の板を外されただとか、そんなことがあって憤りを感じたのではないかと、私は勝手に妄想したのだ。この裏打ちのない妄想は心のどこかで共鳴し、反復した。言うなれば負となる不条理に、その消えたオザケンに、シンパシーを感じたのである。
【TVドラマ『部屋においでよ』の清水美沙さんと山口達也さん】 |
オザケンの「それはちょっと」と言えば、筒美京平だ。この曲の作詞は小沢健二、作曲は筒美京平、編曲が小沢健二&筒美京平。たまたま近頃、往年のグループ・サウンズ“ヴィレッジ・シンガーズ”を調べていたところ、ここでも筒美京平が絡んできて、独特の“筒美サウンズ”が耳の内側を心地良く叩き、ヴァイブした。「それはちょっと」は8分の4拍子のリズムで小気味いい音色によるイントロ、オザケンの“イチ、ニ、some shit!”というハッスル・シャウトがフレーム・インして始まる。が、いかにも筒美京平さんらしく、この曲のからりとした印象がドラマの内容(ピアニストを目指す若い女性とプロ・カメラマンを目指す男子の同棲恋愛モノ)とうまくマッチしていたし、20代だった私は当時、そのドラマを毎週欠かさず観、恋愛沙汰に夢中になっていたものだ。
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この曲におけるオザケンのヴォイスは実にドライに構成されている。いわゆるリバーブというエコーのエフェクトがまったく付加されていない。総じてラテンの軽快なリズムと、このドライなヴォーカルを持ってして、これを90年代に流行した“渋谷系”と評していいのかどうか、定義は定かではない。が、いずれにせよ、私が今この曲を想い出したというのは、そのドライなヴォイスの、からりとした印象が心を打ったからであり、日常の不条理な事柄に対するある種の心理的作用が働いたからであろう。――いいよね、こういうサウンド…と素直に思った。
いいよね、オザケン。今だからこそ、親身になってみようじゃないか。
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