【「We Are The World」エディション】 |
私がレコーディングというものに真剣に興味を持ったのは、中学生の時だ。その頃、USA for Africaのチャリティー・ソング「We Are The World」のビデオを観た。今思えば不思議な巡り合わせである。極端な話、このビデオを観ていなかったならば、音楽などやっていなかったかも知れない。
そのビデオは、レコーディングの光景を如実に映したメイキングで、AKG C-12という名機のマイクロフォンの前でライオネル・リッチーが歌い始めるシーンが印象的。だが、ライオネル・リッチーとマイクロフォンのあいだに、奇妙な“布膜”の存在を“目撃”したのだ。どう見てもそれは、女性が穿く「ストッキング」であった。何故、ライオネル・リッチーとマイクロフォンとのあいだに、女性が穿く「ストッキング」が在るのか。中学生だった私は、思い悩んだ。結局はその「ストッキング」の謎解きこそが、レコーディングという制作現場への興味をいっそう深くし、自らもそれにどっぷりと浸かっていくきっかけになったわけだ。私はこれを、「思春期のストッキング事件」と称している――。
さて、平成の時代がもうまもなく終わる。そういう時世において、かつては誰もがサビを口ずさむことのできたUSA for Africaのチャリティー・ソング「We Are The World」など、“知らない”世代が増えてきているのではないか。そのことを承知の上で、「We Are The World」と私自身の想い出を書き連ねることは、逆にとても有意義なことだと思っている。前稿の「ミックステープってなんじゃらほい?」と多少なりとも繋がりのある話であり、昨年1月に書いた「青空の多重録音」も併せて読んでいただけるならば、この話はもっと聡明になるに違いない。私的なことながら、これは私にとってとても大切な、そしてある意味とても不思議な、歌とマルチ・トラック・レコーディングの話なのだから。
§
「We Are The World」(コロムビア・レコード)のチャリティー・ソングが初めて私の耳に届いたのは、中学1年の頃である。時系列で述べると、ニューヨークのハリー・ベラフォンテがアフリカの飢餓と貧困のために何かできないかと発起したのが1984年の暮れ。翌年の1月にその伝説の、深夜のレコーディングがおこなわれ、イースター前の4月5日の朝、世界各国のラジオ局が一斉にこの曲をオンエアしたというのだから、中学入学直後のことだ(シングルのリリースは3月28日)。というと、もう33年前の出来事である。
話は少し戻るけれども、ハリー・ベラフォンテがケン・クレイガンに相談し、これはチャリティー・コンサートをやるよりも、ミュージシャンを募ってシングルを発表した方がいいとケンが提案したのは、直前にボブ・ゲルドフが英国でチャリティーのバンドエイドを結成し、「Do They Know It’s Christmas?」のシングルを発表して、この時のアフリカ飢餓救済の募金キャンペーンがうまくいったのを倣ってのこと。早速、ケン・クレイガンが動き出し、作曲をライオネル・リッチーに委ね、プロデュースをクインシー・ジョーンズに依頼。矢継ぎ早にスティーヴィー・ワンダーとマイケル・ジャクソンも賛同。
曲作りはライオネル・リッチーとマイケルが担当して進み、後日、ガイド・ヴォーカル(ガイドを吹き込んだのはマイケル)のレコーディングを含めて、ほとんど数日のうちにプリプロダクションのレコーディングは終了したという。こうして出来た曲のデモ・テープは参加者に事前に配られ、85年の1月28日の夜、ロスのシュライン・オードトリアムでAMA(アメリカ・ミュージック・アワード)に出席していた著名なアーティストら45人が、A&Mのレコーディング・スタジオに集結。現場ではクインシー・ジョーンズの指揮の下、なんとここで翌朝の8時まで、のちに伝説となったレコーディングがおこなわれたわけだ。そう、私が後々ビデオで“目撃”することになる、「思春期のストッキング事件」のレコーディングである。
この頃の私の記憶はきわめて曖昧で、おそらく中学入学式のあった直後、初めて「We Are The World」というタイトルの曲をテレビのニュースか何かで知り、聴いたはず。たぶんUSA for Africaの45人が掛け合うあのキャッチーなコーラスの響きに、私は幾分か“ときめいた”のだろう。がしかし、それだけでは、思春期の尖鋭な感受性における物事への強い関心事と何ら変わらない。だってあの頃は、ハレー彗星襲来のニュースにも興奮して飛びついて、実際に深夜から早朝にかけ、友人らとただひたすら夜空を眺め、小さすぎてよく分からないハレー彗星を見ようと“懸命”になったことがあるのだから。
つまり、最初、「We Are The World」を聴いた印象というのは、それほどでもなかったのではないかと思う。やはり度肝を抜かれたのは、後々観たあのメイキング映像なのであって、それがきっかけで自らも「We Are The World」の7インチのビニル(レコード盤)を買い、やがてそのメイキング・ビデオ自体をショップで見つけ、購入。繰り返し繰り返し自宅で「We Are The World」のレコーディング映像を眼に焼き付け、「思春期のストッキング事件」を反芻する日々が続いたのであった。
ちなみに――。こまかい話をすると、私のホームページのコラム「歌うUtaro主義」には、その当時のセッティングを再現したマイクロフォンの写真がある。あのようにそうやって自分も民生機の旧式のマルチ・トラック・レコーダーで歌を吹き込み、レコーディングをおこなっていた。ふとその頃考えついたのは、例のストッキングである。針金を輪っかにし、女性の穿くストッキングを巻き付けて膜にすれば、あれと同じものをこしらえることができる。ただし、多感な中学生だった私は、母親のストッキングを持ち出して、それを工作するまでの勇気は――なかった。中学生の男子としての、《羞恥心》の反作用である。
§
【DVDパッケージの裏】 |
話を戻す。いま私の手元にあるのは、「We Are The World」の20周年を記念したスペシャル・エディションDVD2枚組(日本盤2010年リイシュー)である。このスペシャル・エディションでは、かつて観たメイキング映像よりも、遥かに長く付け足された(未編集・秘蔵の)レコーディングの有様を観ることができる。まず何より、このチャリティーに参加したアーティストをここで列挙しておく。
ポール・サイモン、キム・カーンズ、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズ、スモーキー・ロビンソン、レイ・チャールズ、シーラ・E、ランディ・ジャクソン、ラトーヤ・ジャクソン、ベット・ミドラー、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエル、シンディ・ローパー、ブルース・スプリングスティーン、ウィリー・ネルソン、ジェームス・イングラム、ボブ・ディラン、ルース・ポインター、マーロン・ジャクソン、ティト・ジャクソン、ジャッキー・ジャクソン、ダリル・ホール、ディオンヌ・ワーウィック、アル・ジャロウ、ケニー・ロジャース、ジョン・オーツ、ヒューイ・ルイス、ジョニー・コーラ、アニタ・ポインター、ビル・ギブソン、クリス・ヘイズ、ライオネル・リッチー、スティーヴ・ペリー、ケニー・ロギンス、ジェフリー・オズボーン、リンジィ・バッキンガム、ダン・エイクロイド、ハリー・ベラフォンテ、ボブ・ゲルドフ、ショーン・ホッパー、マリオ・チポリーナ、ウェイロン・ジェニングス。
このうち、ソロ・パートのレコーディングに駆り出されたアーティストは21人。歌い出し順に紹介すると、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダー、ポール・サイモン、ケニー・ロジャース、ジェームス・イングラム、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエル、マイケル・ジャクソン、ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、ウィリー・ネルソン、アル・ジャロウ、ブルース・スプリングスティーン、ケニー・ロギンス、スティーヴ・ペリー、ダリル・ホール、ヒューイ・ルイス、シンディ・ローパー、キム・カーンズ、ボブ・ディラン、レイ・チャールズ。
当たり前の話、作曲及び編曲に携わったライオネル・リッチーやスティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソンらはこの曲の構成を完全に理解しているので、レコーディングを実践する際、気持ち的にずいぶんと余裕がある。しかし、その他のアーティスト達は、事前にデモ・テープを渡され、曲を耳に通している以外では、数時間前にバックグラウンドのコーラスを録っただけに過ぎず、この曲のなんたるかなど分かるはずがない。これから始まるソロ・パートのレコーディングがいったいどんな感じになるのか、3人以外は誰もが皆目見当もつかなかったはずなのだ。
用意されたAKG C-12マイクロフォンがレコーディング・ルームに定間隔で数本並べられ、ソロ・パートを歌うことになるアーティストらが、その背後に佇立して待機する。歌い出しの際にマイクロフォンの前に近づいてから歌い始めてくれ、という指示。指揮をとるクインシー・ジョーンズ以外では、そういった現場監督的な役割はライオネル・リッチーの仕事。彼がそれを手取り足取りでほかのアーティストらに教示する。
そのライオネル・リッチーとスティーヴィー・ワンダーの歌い出しの直後、ポール・サイモンとケニー・ロジャースが歌う箇所のフレーズ、“And it’s time to lend a hand to life”→“The greatest gift of all”では、ポール・サイモンはこのAKG C-12が高い位置にあって非常に歌いづらい様子。彼の身長は低いのである。それでなくとも彼のヴォイスは比較的繊細であまり響く声ではない。マイクロフォンに向かってめっぽう近づくのだけれど、いかんせん位置が高すぎる。時折、これ、高いよと愚痴るのだが、クインシーがこの混乱の作業の中、それを了諾するはずもない。
こうしたヴォーカル・レコーディングでは、どのようなミス・テイクが生じるか、どんなアクシデントが起こりうるのかといった断片の数々が、「We Are The World」のメイキング映像で見ることができる。
ポール・サイモンとケニー・ロジャースのエピソードのほか、アル・ジャロウのおちゃめなミスの連発、ヒューイ・ルイスとシンディ・ローパーとキム・カーンズによる、サビへとつながる難しい掛け合いの箇所の厄介な一悶着、あるいはボブ・ディランが何度も何度も神妙に歌い直したりとか、ブルース・スプリングスティーンはめっぽうシャイでありながらもパーフェクトな仕事をこなしたりするシーンとか。さらにスティーヴィー・ワンダーとダイアナ・ロスのアドリブ・フェイクのレコーディングの様子などは必見であり、お見事と言うしかないパフォーマンスを見ることができる。
私は当時、息を呑んでこれらを大雑把にまとめあげた“ディレクターズ・カット”を見たわけであり、本当に何度も何度も繰り返し見て、記憶に刻み込んだものである。そう、レコーディングとは、こういうことなのだと。
§
私が「思春期のストッキング事件」と称したストッキングについて答えを明かしてしまおう。
あれは、ウインド・スクリーンといって、いわゆる発声の際に生じるスピット(唾吐き)やブレス・ノイズのために膜を張って、マイクロフォンを守る。AKG C-12のようなコンデンサー型のマイクロフォンは基本的に湿度に弱く、唾など大の苦手。また、ブレス・ノイズの混入を一定程度ウインド・スクリーンで遮蔽することができ、そうしたノイズの防音効果がある。現在は、ウインド・スクリーンの様々な良質の製品が市場に出回っており、女性のストッキングで代用することは、ない。
あの頃、中学校で文化祭があり、英語クラブの生徒らがステージで「We Are The World」を歌ったことがあった。私は体育館の後ろで傍観して、それを聴いたのだけれど、自分もその合唱に加わりたくて非常に悔しい思いをした記憶がある。〈俺にも歌わせてよ!〉。心の中でずっとそう呟いていたのだ。
それはさておき、あのビデオに登場するアーティスト達の、心の温かさ、誰かのために手助けしたいという一途な志は、音楽で表現できる《一つの愛》と言い換えてもいい。この音楽的手段は、誇れる素晴らしい仕事だと私は思う。
今も尚、「We Are The World」。これが私の、伝説のレコーディングの想い出である。♪We are the world,we are the children !!
コメント