WHITNEY―卒業式の日のハーレー

《Whitney Houstonの3rdアルバム》
 高校時代の卒業式の日の話――。それはもう28年も前の話であって、何ら他者から共感を得られるとはこれっぽっちも思っていないけれど、今、どういうわけだか、そのつまらない話を書いてみたくなったのである。本当にありきたりな、どうでもいい話なのだけれど――。
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 私の母校は茨城県内の工業高校である。ありがちではあるが、女子生徒は極端に少ない。私のクラスには一人もいなかった。その手の逆説的な思い出話はこれ以上、ここでは書かないことにしたい。
 母校のホームページを閲覧してみると、3月の行事予定のテクストに、《3/1 卒業式》と記されてあった。これがまた随分飾り気のないシンプルな行事予定のページであった。この高校の卒業式は、案外早いのだ。机の引き出しを開き、高校時代に付けていた日記帳を開いて確認したところ、やはりと言うべきかどうか、その日は「1991年3月2日土曜日」となっていた。
 あの日の記憶は比較的鮮明で、雨は降っておらず、多少風が冷たかった。晴れだったか曇りだったかのどちらか。なんとなく畏まった気持ちで校内の駐輪場に自転車を置き、普段は気にも留めない制服の乱れを正した後、校舎の玄関口に向かうと、そこに電気科の30代そこそこのK先生が神妙な面持ちで立っていて、卒業生ら生徒達を迎え入れてくれていた。心細い感じの弱い音声で私は、「おはようございます」と挨拶をした。K先生は軽く頷いてそれだけだった。この単純な所作のうちに、〈この日がここへ向かう最後の日なのだ…。K先生ともこれでお別れだ…〉という思いが高校生らしく熱く込み上げてきた。
 教室に入ってからの情景は、日記にこうある。
《教室に入ると、やはりいつもと変わりないように思えるけども、それでもどこか違うような空気が少しばかりあったと感じました》――何かそわそわした雰囲気。幾分、何気ない会話が詰まり、わざと明るく取り繕ったりするようなこともあって、式典の前のこの教室の中は、一人一人寂しさを隠してそれを他人に悟られない、言わば気取った空気があったのかも知れなかった。私が書き残した日記の言葉の羅列はあまりにも幼く、いま読んでもどきりとして戸惑ってしまうのだが、それらの言葉は何らひねくれていないし、素直なのである。
 体育館にておこなわれた卒業式典は、それなりに粛々とした厳かな雰囲気のある、静かなものであった。特に印象に残っていることはない。
 再び自分の教室に戻ってからの、およそ小一時間くらいの最後となるホームルームでは、まだ若々しかった担任のK先生(担任のイニシャルもKだからK先生。「ライ麦のK先生」参照。玄関口の前で立っていたK先生は別の先生)が、3年間にわたる電気科A組の生徒らとの交流を通じて醸造した、様々な形における煩悶と提起と、生徒らに対する将来へ向けての願いと希望と、そしてまさに愚直なまでの、心の表象となる別れの挨拶を述べられ、私はそれを淡々と聞いていたのだけれど、本当にでたらめで駄目な態度であった中学校時代の自分自身を思い出し、この高校における3年間は、それよりも随分ましだったなと、心の内に思ったのだった。
 多少は善処できたのではないか――と思える自分自身の哀れな姿の根幹に、この担任の先生の懐の深い《救い》の精神があったおかげなのだと思った。その感謝の気持ちはそれ以上何かに表現することができず、それがまた10代の馬鹿げた姿の有り様なのだけれど、別個のところでは、たいへん心を許していた友人がいて、おそらくこれが最後の《対話》となるであろうことを留意し、その友人とのあいだで、それこそ愚直に真摯な態度によって《対話》に臨もうとしていたにもかかわらず、どういうわけだか飄々とした空疎な時間だけが進み、何も具体化せぬまま、つまり《対話》がおこなわれぬまま、教室を後にしてしまった記憶というのが、今以て痛恨の濃い輪郭のままの情景として、残る。こうして高校の卒業式の日は、描いていたドラマには、ならなかったのである。
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《都会的なイメージのあった『I’m Your Baby Tonight』》
 ハーレー・ダビッドソン(Harley Davidson)のプラモデルで遊んだのは小学生の頃であった。昔、仮面ライダーの“スーパー1”が乗り回していたのがハーレーで、その憧れが強かったから、タミヤのプラモデルでハーレーをこしらえるのは、少年としてなかなか好きな嗜みであった。
 ふとそんな記憶が甦って思わず微笑んでしまったのが、ホイットニー・ヒューストンの3枚目のアルバム『I’m Your Baby Tonight』である。1990年9月発売。卒業式の半年前にCDで買った――。
その秋以降、アルバムの収録曲を何度も何度も聴き返し、すべての曲の英語詞のヴォーカルを覚えるのに必死になっていた私。中学時代から既に始めていたマルチ・トラック・レコーダーを使ってのヴォーカルの録音では、アダルトな雰囲気に変貌したホイットニーの最新曲に夢中となり、学校の資格試験などの勉強がまったく疎かになるほどであった。
《高校時代から大切にずっと持ち続けているCDとそのブックレット》
 『I’m Your Baby Tonight』のあのモノクロームのジャケット。ハーレー・ダビッドソンの二輪。原付バイクの免許を取ることに皆、汗を掻いていた工高の生徒らが憧れるのがハーレー。独りじゃ絶対車体を起こせないのだというハーレーの“神話”が、男子高校生の心をときめかせ、学校周辺にあった二輪ショップに足を運ばせる。それはともかく、このジャケットでは、当時売り出したばかりの“ハーレー・ダビッドソン FLSTF ファット・ボーイ”に腰を付けたホイットニーがたいへん美しく格好良く、その背景はニューヨーク――マンハッタンかコニーアイランドか――などと勝手な想像を膨らまし、曲を聴いて洗練されたリズムとパーカッションの渇いたアタック感に酔いしれていた18歳の私であった。
 卒業式が終わって帰宅し、マルチ・トラック・レコーダーのスイッチを入れた。歌いたい気分だったのである。テープを再生し、頭に付けたヘッドフォンから「Miracle」という曲が流れてくる。「Miracle」は、ホイットニーが歌うアルバム『I’m Your Baby Tonight』の中の曲だ。
 私はマイクロフォンの前で歌い、録音した。途中、泣き崩れるのである。
 ――何でこんなときに思い馳せるのか、それはハーレーへの憧れ、ニューヨークへの憧れ、アメリカン・ポップスへの憧れ、ホイットニーへの憧れ。そういった強い思いを大きくぐるりと一周した後、心の中で覆い被さってきたのは、今日、あの去った学校で出会った人達の、表情の残像。他愛のない彼らの言葉のリフレイン。
 そうしてそれらをすべて飲み込んでさらに覆い被さってきたのは、心を込めて別れの挨拶ができなかった、その友への懐かしさや後悔の念。いっぺんに倒れ込み、忘我し、猛烈な涙の雨で床にたたき付けられたまま私は、ヘッドフォンからわずかに流れてくる《There’s a  miracle in store…》のフレーズにすべてを失うのだった。

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