【Lionmilkのアルバム『Depths Of Madness』】 |
2度目の緊急事態宣言下の定点観測――。ウイルス感染拡大防止の重大局面として、切迫したただならぬ様相とは言えども、既に政治は愚鈍化(政治家が愚鈍化)し、地球全体が愚鈍と化してしまっている。おおよそ、人間の知的な感覚(=知性)の後退期とも思えなくもない。社会は度重なる抵抗と服従による災厄の、右往左往の日々が続いている。言うまでもなく、コロナ禍である。人々の先々の展望は、10メートル先の針穴を見るようにとらえづらい。
ところで私が最近、聴き始めてから意識的に“定着”してしまっている海外の音楽がある。モキチ・カワグチさんのLionmilk(ライオンミルク)名義のアルバム『Depths Of Madness』(ringsレーベル/Paxico Records/2018年)である。モキチ・カワグチさんは、アメリカ・ロサンゼルス出身の日系アメリカ人ビートメイカーで、アルバム自体は、自由気ままな、少々ゆったりとした、エレクトロ系の人工的な解釈によるジャズとフュージョンの、言わば“fond de veau”(フォンドボー)のようなサウンドである。これを私は毎夜聴くことにより、多少なりとも、不穏な日々の精神安定剤となり得ている。
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彼と彼の音楽について、ringsレーベルのプロデューサーの原雅明氏による短い解説にはこうある。
《ロサンゼルス生まれの日本人キーボード奏者モキチ・カワグチは、ニューヨークの名門ニュースクール大学でジャズ・ピアノを学び、Lionmilk名義ではシンガーソングライターでありビートメイカーでありマルチ奏者でもある多彩な顔を見せる。この才能豊かな24歳の音楽、本当に要注目です》
(『Depths Of Madness』ライナーノーツより引用)
【月刊誌『Sound & Recording Magazine』2019年12月号より】 |
月刊誌『Sound & Recording Magazine』(リットーミュージック)2019年12月号には、ロスのウェストレイク・ヴィレッジにある彼のプライベート・スタジオでのインタビュー記事が掲載されていた。
私はそれを読んで知ったのだけれど、彼の所有するエキセントリックなローファイ機材(ヴィンテージのエレピ、チープなリズムマシン、宅録用のテープ式マルチ・トラック・レコーダーなど)が、あのように淀んで透明度を失った“fond de veau”を作り出していたのであった。比較的メロウなサウンドの、そのトランスの重厚感だとか浮遊感だとかということよりも、全体としては、ジャズに程近いインプロビゼーションの妙味が、面白い具合にローファイのアプローチと渾然一体となり、聴き飽きないのだ。主観的には私好みなのである。
彼の人生における個人としての《品性》――その《品性》に根付いている本流のフュージョンであれ刹那であれ、あるいはピュアな隠微なセクシュアルなものであれ、一貫してそれらはどこかニヒルであり、また逆におちゃめである。この時、24歳だったということも、少なからず関係しているのではないか。
ロスのウェストレイク・ヴィレッジという、ある種肉感にそそられる、太陽と土の煌びやかな環境のせいもあるのだろう。さじ加減としてのエレクトリックな趣は、そうしたところに反比例して、だいぶ削ぎ落とされてしまっている。したがって、いわゆる“デジタルの臭味”が感じられない。むろん良い意味で、である。念を押せば、まさしく70年代・80年代テイストにおける古き良きスタイルの、“fond de veau”なのであった。
【Lionmilkさんが所有するシンセやエレピに加えられたチープな機材】 |
追記。
この時点で私は、突っ込んだ意味でのLionmilk、すなわちその音楽的仮面を被ったモキチ・カワグチさんという人の《私生活》について、あまり関心がなかった。しかしながら、徐々にその思いは変容しつつある。
いま、コロナ禍の混乱の只中にいるせいなのかも知れないが、彼がネット上に発信している情報は、(今のところ)ごく限られている。限られた情報のみで空想し、彼という人物のパズルのピースの埋め合わせをしていく作業は、なかなか面白いものだ。
『Depths Of Madness』のオフィシャル・ミュージック・ビデオ「You Really」における映像の中の、Lionmilkさんの仕草や表情、あるいは飄逸さをところどころ滲ませた態度を見ていると、おおよそこんな人なのだろうというパズルは完成してくる。玉石混淆の真偽の情報が厖大に溢れかねない今の時代において、これくらいの寡少のピースは、もしかすると適切なのかも知れない。それがかえって私の心をくすぐった。
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