ネッシーと蘇格蘭とクレイモアの酒〈1〉

【私のお気に入りのスコッチ・ウイスキー「クレイモア」】
 湿った原野の如く懐かしい匂いを放つ、濃密な二つのアイテム――ある音楽と酒――に、私はいま翻弄され、愛しさの歓喜に満たされている。ロスで活動しているビートメイカー、ライオンミルクのアルバムともう一つ、スコッチ・ウイスキーの「CLAYMORE」(クレイモア)である。ここでは、スコッチの話とスコットランドの話をしてみたい。
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 クレイモアの濃厚な旨味を初めて知ったのは、昨年の初夏の頃で、このブレンデッドのスコッチはアレクサンダー・ファーガソン社で造られている。語弊を恐れずに言うと、馴染みのあるバーボンのような、安心感のある濃厚さである。
 この独特な濃厚さに付き合っていくと、やがて心地良い睡魔にいざなわれ、この瞬間の絶妙な体感がたまらない。日本人の、特に若い人は、酒というものをことさら「馬に与える興奮剤」のように扱うが、それはとんでもない間違いである。このクレイモアのように――むろんこれはあくまで主観的感想ではあるが――紳士淑女の如く穏やかで、程よい時間に眠気を誘ってくれるといった、日常の礼節を重んじるブレンデッド・ウイスキーにおいては、本来的にピート(泥炭)のスモーキーフレーバーを想起させながら、その旨味の情趣を導き、文化人の生業として《善き友》となることを教えてくれるのであり、言わば親密なる精霊なのである。もっと奥深く言うなれば、種族的文化人に寄り添う親密な――全くの精霊なのだ。
 クレイモアのキーモルトは、スペイサイド蒸留所で造られるクラガンモア(CRAGGANMORE)である。何やら神秘的な香りが漂ってきた。シングルモルトのクラガンモアへの関心も、こうして高まってくる。スペイサイド蒸留所は、ハイランド地方にあるベン・マクドゥイ山の西麓に位置し、それより北西に位置したところに、あの有名な、ネス湖(Loch Ness)がある。ネス湖と聞けば、ネッシー伝説を思い出すが、その話はまた後述する。
 ところで私の幼い頃、どこからか“イギリス”と耳にし、誰かが“イギリス”の話をすれば、それはすなわち、イングランドではなく、スコットランドのことだった。いまにして思えば――である。ただしこのことは多少、誇張があることは承知している。が、やはりよくよく考えてみても、強いて言えばそれはロンドンを指し、それ以外のことはすべて、スコットランドを指していた。知識というのものは実にけばけばしく、夢想の産物と言っていい。
 スコットランドといっても、ハイランドとローランドという歴史上の分断がある。17世紀初頭、イングランド王となったジェームズ6世が、ハイランドを抑圧の対象とした。端的に分かりやすく言うと、ローランド以南イングランドはイングリッシュであり、ハイランドはケルト系ゲール語圏のアイリッシュである。そういうふうにお互いに罵り合ってきた歴史があるのだ。スコットランドの歴史については、高橋哲雄著『スコットランド 歴史を歩く』(岩波新書)がたいへん詳しい。
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 遠いスコットランドへの愛慕が、日々のウイスキーの味をさらに深めてくれている。それともう一つ、思い出されるのは、あのタータン(tartan)の文様が、私の幼い頃、あまりにも“イギリス”を象徴しすぎていたことだった。少なくとも昭和の片田舎の、偏った教養の中においては――。
 ちなみに、それを“タータンチェック”と呼ぶのは、あくまで和製英語であり、日本では昔も今も気軽にそう呼んでいるが、本来は単にタータン(tartan)と呼ぶべきものである。どういうことかというと、タータンというのは、キルト(kilt)などを仕立てるための、赤や黒、緑や黄色などの色糸を使った格子縞の文様の毛織物を指し、古くからスコットランドより伝わる織物のことである。
 ただし、いわゆるクラン・タータンというような、氏族や家系を表した格子柄の文様というのは、古代からある伝統でもなんでもなく、大凡18世紀以降に制定されてきた軍隊の制服への採用がきっかけであり、クラン・タータンは言わば、政治的目論見による発祥なのであった。
 そういった込み入った歴史はともかく、日本においては、格子柄の文様を模倣し、他の衣服などに転用した際におそらく、それを、タータンの柄という意味で“タータンチェック”と呼んだに違いない。さらにこれを若者らが短く縮めて言い換え、“チェック柄”という奇妙な言葉が生み出されたわけだが――これ以上の詮索はやめておくことにする。ちなみに、スコットランドを古臭く和名らしい日本語に当てはめると、「蘇格蘭」と書く。格子縞の格の字が思慮深く用いられているのが、なんとも可愛らしい。
 さらにタータンの話である。
 私が小学生の時分に通っていた剣道スポーツ少年団では、毎年正月に欠かさず餅つき行事をやっていた。子ども達や保護者らが、寒い屋外で、杵で餅をつくのである。ついた餅は、ほとんどお汁粉の材料となって子ども達に提供された。
 そんな昭和時代の餅つき行事のスナップ写真が、幾枚か手元に残っている。ある双子の小学生が、赤と黒のタータンの柄の上着を着て参加していたスナップの写真がある。その写真を何かしらの機会に眺める時、いつも双子の兄弟のタータンが気になって気になって目に付いてしまい、もはやそれだけの意味の、あどけない写真記録と化してしまっていた。
 タータンの柄が目に付く理由を推察するならば、それはある種のちぐはぐさ、すなわち日本の餅つきという農村的な風習の表層に対して、イギリス=スコットランドの象徴が入り込んでいることの、ちぐはぐさ、奇妙さであった。しかし、農村的田舎的な風習という点においては、実は何ら違和感はなく、当時の流行り物としてのタータン=英国的、ロンドン的という十把一絡げ的解釈から外れて、皮肉にも的を射た象徴に収まっていることが、幼い少年だった私には、全く理解できていなかったために、それがちぐはぐに思われたのである。
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 いま、チョコレートの商品「キットカット」はネスレが販売している。その昔、この「キットカット」のパッケージの冠には、“マッキントッシュの”――というのが附いていた。このことの理由は、かつてロンドンのロントリー社がジョン・マッキントッシュ社と合併し、1988年にネスレ社に買収されるまで、“マッキントッシュの”「キットカット」だった――からである。
 商品のイメージとしては、私個人の中でどうしても解消し得ない瑣末なのだけれど、あの「キットカット」というとても美味しいチョコレート商品が、私にとっては未だ、“マッキントッシュの”「キットカット」――なのである。冷静に考えれば、ネスレ社には大変慇懃無礼な話で恐縮である。子どもの頃に凝り固まったイメージや観念というのは、なかなか理性で片付けることができず、消えるものでもない。
 しばし、考察が過ぎると、スコットランドとそれ以外の、イングランドなどに関連した記憶との差異が混濁してきて、よく分からなくなる。
 少年時代に聴いていたザ・ビートルズとしてのイギリス、さらには姉がファンであったベイシティローラーズとしてのイギリス、実はこちらもタータンの印象が強いのだが、そうした子どもの頃のアイドル・ロック系バンドへの印象を加味すると、個人的なイギリスへの憧れは、意外なほど大きく、根深く、すべての思考の中枢(哲学だとか文学も含めて)を占めているのではないかと思えるほどであり、ことウイスキーに関しては、スコッチを外せるわけがない。しかし、スコッチ・ウイスキーを“イギリスの産物”と大雑把に称して片付けることは、到底できないことであり、してはならないのである。
 次回は、ネス湖とネッシーの話に依存したい。

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