続ライ麦のK先生

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年2月4日付「続ライ麦のK先生」より)。

 前回の続き。
 K先生の作文が記載された印刷物が見つかりました。
 生徒会と広報委員会が発行する、高校の年刊誌の平成2年度のそれに、卒業生に贈る寄稿として、K先生の作文がありました。題は「モラトリアム」。以下、誠に勝手ながら、その全文を引用させていただきます。
《アメリカ作家サリンジャーの作品に『ライ麦畑で捕まえて』という青春小説がある。主人公ホールデンは高校を中退し社会に飛び立つが、偽善に満ちた大人の世界に順応できず苦しみもがいていく。彼が求めたのはライ麦畑で遊ぶ子供達がいるような純粋な世界だった。そしてその子供達の一員であり続けることだった。大半の人々はそれをモラトリアムだ、という一言で片付けてしまう。
 今、君達も卒業する。殆どの者がすぐに社会にたびだっていく。今更という感もいなめないが、社会生活は学校のそれとは大違いだろう。それはたぶんそこが大人社会であるからだ。その中で君達が何を見て、何を吸収し、何を捨てていくのか、それはわからない。それは個人的なものであるし、強制されるものでもない。全てが自分の意志に依るものだ。もしかしたらそこは、君達にたいへん冷たく無関心かもしれないし、もしかしたら、母親の胎内のように居ごこちの良い場所であるかもしれない。
 『ライ麦畑―』の主人公は彼の放浪の旅を精神病院のベッドで終えた。その時彼の頭は半分白髪で半分が黒髪だった。彼はそのベッドの上でこれからの自分を見つめている。君達にとってその旅のはじまりとなるのが今この時です。ゆっくりと歩き出して下さい、大人にはじきとばされないように。時間はたっぷりあるんです。
 十年後君達はまだ二十八才です。その時自分だけのライ麦を持っていれば、と思います。
 最後に、三年間有難う。今後に期待します》
 いま私の手元に、Uブックス野崎孝訳版の『ライ麦畑でつかまえて』があります。
 決して良い思い出ばかりではなかった高校生活を振り返る時、最後に忘れていたのは、この本を読むことでした。主人公のホールデンを知ること。作家サリンジャーに触れること。
 気がつけば、今まさに卒業シーズンを迎えようとしています。19年前の担任の言葉が、私自身の心のどこかに眠って残っていたように、敢えてK先生の作文を載せましたが、今卒業する方達にも、何か支えとなるよう、読んでいただければと思います。

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