グールドと漱石

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年7月16日付「グールドと漱石」より)。

 夏は自室にエアコンがないため、扇風機を回しています。私にとって夏の季節は、この扇風機の風と部屋の暑さによって集中できず、あまり音を出して音楽を聴くことができません。つまり夏は私の耳を休ませる、そういう効果があるようです。こうしたことは比較的毎年同じで、夏は一時的に音楽に“疎く”なります。
 先月、SONYのCDクラブのカタログで、グレン・グールドに興味を持ち、Amazonで『ブラームス:間奏曲集/4つのバラードより/2つのラプソディ』のアルバムを購入しました。何よりもブラームスを演奏するグールドの音が素晴らしいと思ったのに加え、彼の人生や人間関係に対する性癖、著書やその他の音楽ソースなどこれが単なる演奏家という枠を超え、“知性の巨人”たる一面を確証している点において、私自身が「よく知っておきたい」と渇望するに至りました。
 何より、その点における集約は、グールドが夏目漱石の『草枕』への関心を抱いていることです。
 私も夏目漱石に強く関心を持ってきましたが、『草枕』を特に言及したいと思っていることの共通項として、もしかするとグールドも同じ平野を覗こうとしたのかもしれない――と直感的に思いました。
 さて私は、夏の季節の“耳休め”のおかげで、グールドのブラームスをさほど繰り返し聴いていません。従って、グールドについてはまだお預け状態ですが、漱石については久しぶりにその著書を読み直そうと企てました。
 7月6日付のブログ「『土と空の記憶』考」で触れた通り、その羽黒遺跡跡を訪れた帰り、実は近くの書店に駆け込み、新潮文庫版の『倫敦塔・幻影の盾』と『坑夫』を買いました。
 自宅には『夏目漱石全集』(全17巻+月報・岩波書店)がありますが、それはそれ、これはこれで、文庫本の読み易さは比較しようがありません。尤も、両方を持っていることで活字の比較研究の面白さと発見はあります。ちなみに私は稀有本の初版本復刻ヴァージョンも持っています。
 そうしてここからがさらに深みにはまっていくのですが、漱石が「カーライル博物館」を寄稿した丸善のPR誌『學鐙』の最新号の他、昭和時代の古い『學鐙』も古書店からまとめて入手することができました。この『學鐙』自体も面白い。
 個人的に当面、「カーライル博物館」にしつこく停留して深くも浅くも調べてみたいと考えています。

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