読み聞かせの旅

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年7月25日付「読み聞かせの旅」より)。

 明後日の27日から28日にかけて、福島の会津へ旅行します。1日目は猪苗代の近くのホテルに泊まり、2日目は会津若松の市内を回る予定です。どうやら雨の心配はなさそうなので、ほっとしています。
 どうやらこのブログで小学校時代の思い出を述懐するのが一つのテーマとなってきたようです。今回、会津へ足を運ぼうと思い立ったのは、まさに小学校時代のある友人の思い出があったからです。
 小学2年生だった私は、その友人と知り合い、大の仲良しとなってクラスではよく喋り、放課後はよく遊びました。(以来親友となって10代の終わり頃まで、何かと交遊が絶えませんでした。)
 10代の終わり頃になると彼は悩み多き青年といった具合になり、子供の頃の快活さは失われかけていましたが、その彼の様々な悩みを聞いて対話しているところを録音したカセットテープが、いまも私の家にあり、誰にも“聞かせていない”門外不出となっています。その17歳の彼の声を、おそらく唯一何度も繰り返し聞いているのが私自身であり、若き頃の彼の、ある意味において若者特有の普遍的な悩みを、私は自問自答することがあるのです。悩みとは少々逸脱した、若いということのいかなる「生」の《審判》についてを。
 小学2年の時、担任の先生が所用で自習となったとき、彼は学級の児童をすべて寄り集めて、野口英世の伝記本を片手に、それを読み聞かせてくれました。彼はその頃、偉人とされた野口英世に夢中になっていました。
 その話が実にわかりやすくて面白くて、聞いている私もじっと彼の言葉を聞き入っていました。
 猪苗代の貧乏な家に生まれた清作が囲炉裏でやけどを負ったこと。手が不自由になり、いじめられた清作が母親や恩師の思いに応えるように無我夢中で勉強したこと。
 その場では、普段そんな真面目な話には興味を持たないガキ大将の○○君でさえも、読み聞かせている彼の話を聞いていました。
 彼の話を聞いてすっかり野口英世という人が好きになり、そのうち自分も本を買って読むことにしました。
 偕成社の児童伝記シリーズ、宮脇紀雄著の『野口英世』です。
 そうしていつか、磐梯山の見える猪苗代を訪れて、野口英世の生家を見てみたいと思ったのですが…。
 いま、その同じ本を入手して、旅の前に読み進めています。

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