【9月15日付朝日新聞朝刊より】 |
幼年時代に聴いていた“レコード絵本”の中に、確か熊倉さん朗読の“ピノキオ”があって、何度も聴いた。熊倉さんの顔を知ったのはもっと後年であり、俳優の仕事を顔や表情ではない《声》で認知した最初のきっかけが、その“レコード絵本”であった。
小学校に入って2年目だったか、夏休み前の終業式の日、藁半紙で擦られたNHK教育テレビ(現Eテレ)の番組プログラムを渡された。強制ではないが、できうるならこれらの番組を観なさい、という学校の意図であったと思われるが、その中に名番組『ばくさんのかばん』があったかどうかは分からない。が、私はよくあの番組を観ていた。“ばくさん”こと熊倉一雄さんの顔を初めて知った番組であった。
去る15日、朝日新聞朝刊で、「思い出す本 忘れない本」というコーナーで、その馴染み深い熊倉さんの顔があった。しかも本の紹介は、漱石の『三四郎』である。あの『三四郎』が熊倉さんにとって忘れがたい本であったとは、驚きの発見であった。
私も今年になって『三四郎』を何度も読み返している。漱石の小説群の中でも、私は『三四郎』の文体を特に好む。
小説を書くという作家において、漱石は《余白》の名人ではなかったか。
基本的に漱石の文体は、時系列を追わない。いつ、どこで、何をした、という原則論を必ずしも追従していない。
小説の終盤、三四郎が会堂(チャーチ)から出てくる美禰子をずっと待ち続ける箇所がある。どれだけの時間を待った、とは決して書かない。会堂の前でその間――建物を眺めた、説教の掲示を読んだ、鉄柵の所を往ったり来たりした、あるいは唱歌の声が聞えた、歌は歇(や)んだ、風が吹く――などと書き並べる。三四郎が待ちくたびれて気を揉んでいることもはっきりとしない。しかし、これだけで時間が十分に経っていることは明らかである。むしろ、人の心の移ろいなど、時系列で表すことはできないという真理というか核心があるようにも思われる。
そして美禰子がこう呟く。
《「われは我が愆(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」》
この後の文章が面白い。
《聞き取れない位な声であった。それを三四郎は明かに聞き取った。三四郎と美禰子は斯様にして分れた》
【夏目漱石著『三四郎』(初版本レプリカ)】 |
熊倉さんが「反骨のコメディー」と言葉を選んだことで、『三四郎』に漂う文体を見事に言い表していると同時に、それをじわりと汲み取って、自身の人生の精神へと結びつけた俳優魂に胸打たれる。そう、『ばくさんのかばん』にもそういう雰囲気が漂っていた。
『三四郎』を熟読玩味していく。漱石のまなこが見た、《時代》がひっくり返って溢れてくる面白さと、unstableな《心と社会》とを感じることができる。
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