青空の多重録音

【「Sky High」と「Back Again」のEPレコード】
 まず私は、この極私的な懐かしい思い出を、いかにして伝えるべきかたいへん苦慮し、タイトルもあれこれ考えてしまった。「青空の多重録音」。それは中学生だったか高校生だったかの頃の思い出であって、いま私が音楽で「歌う」ことの、その技術と心情の在り方の一つの分岐点になった事柄でもあった(この話は4年前、[Dodidn* blog]の「Back Again」で触れられているが、内容的に充分ではなかったので敢えてもう一度ここで書く)。
 この話は、「歌う」ことを目的とした私が、その初心に返るべく、忘れてはならないことを注意深く思い出していくことに意味がある。
 1987年頃、中学生だった私は、念願のマルチ・トラック・レコーダー「TASCAM PORTA TWO」を入手する(この機と多重録音に関してはホームページのコラム「多重録音ということ」参照)。これはカセットテープに4トラック録音することができ、ミキサー部には入力アンプやEQ、AUXなども充実していたから、アマチュアバンドの録音には最適なレコーダーであった。テープスピードは9.6cm/secと4.8cm/secに切り替えられ、前者のテープスピードだと、46分のカセットテープであれば片面23分のところを11分ほどで使い切ることになる。しかしこの倍速スピードは音質面で4.8cm/secよりも優れていたのである。
 私はこの機で、多重録音ということを学んだ。通常のカセットテープ・レコーダーは、磁気テープ帯の片面2トラックステレオ録音/再生であり、音を重ねて録ることはできない。マルチ・トラック・レコーダーは磁気テープ帯両面を一度に使用するので4トラック分録ることができる。それぞれのトラックのレベル・フェーダーを操作することによって音量を調節し、パンポットでそれぞれのトラックの定位(ステレオの左右の振り分け)を可変することができる。例えばバンド演奏を録る場合であれば、1トラック目にドラム、2トラック目にベース、3トラック目にギター、4トラック目にヴォーカルといったふうになり、これを音量的にバランスを取ってミックスし、別のテープレコーダーにダビングすれば、多重録音によるバンド演奏が仕上がる仕組みである。この録音のプロセスそのものは、現行のデジタルによるマルチ・トラック・レコーダーやコンピューター・ミキシングと何ら変わりはない。
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【ジャケット裏の2曲の歌詞】
 高校生になって、その頃私は猛烈な気持ちで歌を勉強するために、70年代のロックバンドJigsawの「Sky High」EP盤、そのB面の「Back Again」という曲を、4トラックを使って歌とコーラスで多重録音した、わけである。トラックの振り分けとしては、リード・ヴォーカルに対し3パート分のコーラスを吹き込んだと記憶する(ミキシングではリード・ヴォーカルをセンターに、コーラスを左右に振り分けた)。
 Jigsaw(ジグソー)がメジャーなバンドではなかったのは、とても残念である。とは言うものの、私自身もこのバンドを詳しく知らないまま今日まで来てしまったのだけれど、そろそろ彼らの過去のアルバムのリイシューCDを一つくらい買わなければと思っている。おそらくいい曲がたくさんあるだろう。
 ここではウィキペディアの情報データを参考にするが、Jigsawはイングランドのバンドで、1966年にウェスト・ミッドランズ・コヴェントリーで結成、ソフトロックバンドとして1968年にデビュー、だそうである。メンバーはヴォーカル&ドラムスのデズ・ダイヤー、キーボード&ヴォーカルのクライヴ・スコット、ベースはバリー・バーナードで、ギターはトニー・キャンベル。
 私が当時買ったEPレコードは彼らのオリジナルのものではなく、1982年のトヨタのコマーシャル、ライトエース・ワゴン“ムーン・ルーフ篇”のイメージソングとして発売(発売元はキングレコード)されたもので、Jigsawの『Sky High』のアルバム及びシングルは1975年発売である。このトヨタのイメージソングのEPレコード・ジャケット――真っ青な空に噴煙を撒き散らして絡み合う2機の小型飛行機――は実にシンプルで研ぎ澄まされていて素晴らしく、清々しい気分にさせられて私はとても気に入っている。
 切ない恋心を歌詞にした「Back Again」は英語を覚えるのにも適していた。私はこの歌詞に惚れ込み、心情的にどれほどか揺れ動かされた(現実の恋の生々しさと重ね合わせて)。多重録音で苦心しながらヴォーカルを重ねていくうち、音楽とは実にいいものだと心底思った。またそうした音楽はこうした多重録音で記録されることによって、後世まで残りうるものなのだとも気づいた。音楽の記録性。その計り知れない表現性と大衆への伝播の力。
 甚だ残念なことに、この時録音したテープはとうの昔に捨ててしまった。誰にも聴かせることなく消えていったテープである。だが、私の心にはいつまでも残っている。初心を忘れないための、大切な記憶だから。
 録音した自分のヴォーカルとはまったく関係のない、あのジャケット――真っ青な空に噴煙を撒き散らして絡み合う2機の小型飛行機――がこの思い出のビジュアルなのだ。これがある限り、私は忘れない。澄んだ青の中に、10代の私の心が溶けてしまっていてむず痒くて仕方がないのは承知で、時々にこのジャケットを見ていたいと願う。絡み合っているのは飛行機なのか、何であるか…。

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