三島文学と『花ざかりの森』

【新潮文庫『花ざかりの森・憂国』】
 私にとって2017年を新しく迎えるということは、演劇『金閣寺』に出会うということとほぼ同義であった(演劇『金閣寺』公演については、当ブログ「演劇『金閣寺』追想」参照)。こうした刺戟的な演劇と文学への《邂逅》によって新たな年を跨いだことはとても有意義なことであったし、幾人かの者達との能動的な交流の果実とも成り得た。具体的に言えば、この数ヶ月間、久しく触れていなかった三島由紀夫の文学に接近していたのである。約20年ぶりの再読を余儀なくされていたのは、無論、原作の『金閣寺』であって、私はその演劇公演を観るための予備知識として原作を読み込み、かつて20代の頃に味わった三島文学に漂う仄かな薫香やらを思い出しつつも、その鋭く均整盤石に構成された美文調の文体に瞬く間刺戟を受け、今もなお、演劇『金閣寺』と三島文学のゆらめく焔とけむりの幻影が、私の体内で燻っているのであった。
 さて、私はいったいいついかなる理由で、三島由紀夫と向き合ったのであろうか。これが今となっては難儀な詮索なのだ。最初に読んだ新潮の文庫本が『仮面の告白』であることは間違いない。その文庫本の刷年が“平成4年”(1992年)となっているのを考えると、私がちょうど20歳を過ぎたあたり、それは演劇活動に夢中になっていた頃と重なるので、おそらく演劇的なものから何か発露して、衝動的に三島を読み始めたのではないかと思われる。突き詰めると、三島の戯曲作として有名な、美輪明宏(丸山明宏)主演の演劇『黒蜥蜴』の影響ではなかろうかと思わざるを得ない。
 いずれにしても最初の『仮面の告白』を読んだすぐ後、次々と文庫本を買いあさり、三島の作品に耽った。彼の小説の半数以上をその頃読んで“網羅”した気分でいた。ただそれがあまりにも周囲の関心を巻き込まない一元的な読書だったせいか疲弊し、あのとてつもなく広大な樹海の如し『豊饒の海』全4巻を読むには至らなかった。結局私はここで、三島文学を中途放棄したのである。
 こうして20代を過ぎ、三島文学への関心は遙か彼方の忘却沙汰となった。それ以降、三島に触れる機会はほとんどなかったのだ。周囲で三島の小説を愛読している者さえいなかったから、あの均整盤石な美文調は脳裏における遠い面影となっていった。
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【2016年11月12日付朝日新聞朝刊】
 その遠い面影が、突然にして呼び覚まされたのは昨年の秋も終わる頃のこと。演劇『金閣寺』の公演が横浜の伊勢佐木町で来年おこなわれるという言伝があったのと前後して、新聞に三島の『花ざかりの森』に関する記事が掲載されていたのを見、思わず昂揚した。記事によれば、三島のデビュー作である『花ざかりの森』の原稿が見つかり、三島の本名の「平岡公威」が2本線で消され、「三島由紀夫」に書き直されていたのだという。この原稿が学習院中等科の同志の家で発見されたというので、三島の直筆原稿であるのは間違いないらしいとのこと。「花ざかりの森」にまつわる貴重な資料の発見であり、「三島由紀夫」のペンネームが生まれた経緯がこれによって詳らかになっていくのではないだろうか。
 当時16歳だった三島の作品『花ざかりの森』を読んでみた。やはりそこでも三島らしく、ある一定の緊張感が保たれ、既に美文調の萌芽は乱れんばかりの美しい花となってそこかしこに咲き放たれていた。
 『花ざかりの森』のこうした幻想的な物語に、気安くイメージとしての《音楽》をあてがうことはできない。それがピアノの旋律であろうとハープの音色であろうと、それらはすぐさま彼の文体の整った美によって掻き消されてしまうであろう。もはや彼の文体そのものが狂詩曲的な《音楽》なのである。
 この作品を一気に読んでしまった私の読後感というのは、心地良い風雅な物見後のマゾヒスティックな痙攣と言うべきもの、あるいは白昼夢の最中の浮遊感に似たものであり、常に三島の作品には「死」の気配が漂っていることから、「この世ではないもの」への鑑賞の安寧と緊張感とが同居するのだ。
 それがすっかり成熟している感のある文体でありながら、どこかしら少年らしさが感じられるのは、その咲き放たれた花の種が決して重くメランコリックな印象を受ける花ではなく、子供らが親しみを感じて近づくであろう、ひまわりや朝顔、三色すみれのような花だからなのだろう。『花ざかりの森』は、愁いを帯びて登場する夫人の存在の、大人らしく燻された風情と加味されて、いわゆる子供じみた小説的体臭を打ち消した独特の雰囲気を醸し出している。三島自身はこの作品を《もはや愛さない》作品に位置づけていたようだが、私はその剪定者自身に「愛されない」花というものが、実に愛らしく活き活きとしていることに、しばし笑みを浮かべたくなるのである。

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