上野散歩―開くまで待とう奏楽堂

【工事中の旧東京音楽学校奏楽堂】
 2月末。ずっと寒い日が続いていた折の、比較的穏やかな日和の正午。東京・台東区の上野公園を散策。ここは私にとって、学生時代から親しんできた公園である。
 確か前回、この公園を訪れたのは、昨年の晩夏の頃だ。ちょうど、「パキスタン&ジャパン フレンドシップ・フェスティバル」が(酷暑にもめげずに)中央噴水池の広場にて、賑やかに催されていた頃だったのだから、間が空くというより、ずいぶんと“間が抜けて”いる。客観的には本当に馬鹿げたくらい、あれから月日が経ってしまった――。
 振り返ると昨年は、母親の入院から退院までとつらなって、父親の死去という事由が相重なった。本当にいろいろな出来事が、昨年の半年のうちに折り重なり、せわしい時間を駆け巡った。学生時代から親しんできた東京・上野の一角を、こうして再びのんびりと歩くことができるようになった今、なんとも幸せなことだと実感する。ふと思えば季節は、もう早春の候である。
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 散策の道すがら、ひょいと気になって、旧東京音楽学校奏楽堂の前まで来た。しばしたたずんで、工事中の建物を眺めた。ここへ訪れたのは5年ぶりである。以前と比べて、なんとなく外装がきれいに艶やかになっている気がした。公園を訪れるたびに頭の片隅で気になり、やきもきとしたのは、この奏楽堂がずっと休館で工事中だったことである。
 思い返せば、2013年の3月。それまで何度となく夢想していた奏楽堂の見学がようやく実現(当ブログ「麗しき奏楽堂」参照)し、念願のイギリスのアボット・スミス社のパイプオルガンの音色を間近で聴くことができた喜びは忘れない。こぢんまりとした古風なホールの空間に、さりげなく柔らかなオルガンの響きが広がって、心地良い気分となった。かつての時代、ここは由緒正しい学び舎だったのだ。それを想像すると、まるで自分もその一員であったかのように感じられ、不思議にも懐かしさが込み上げてくる。奏楽堂にはそういう深々とした魅力がある。されど、私が見学した翌月、ここは休館となって門が閉じられ、今日に至っている――。
 奏楽堂の休館は、長期にわたっての改修工事のためである。道すがら我慢できずにここへ訪れたけれど、そう、あれから5年の歳月が経過したのだった。
 工事現場の遮蔽壁のパネルには、改修工事についてのいくつかの情報が記されてあった。工事の名目は、重要文化財である旧東京音楽学校奏楽堂の「保存活用工事」となっており、設計・管理は公益財団法人の文化財建造物保存技術協会。工事担当は松井建設。主な工事内容として2点挙げられてあって、1つは老朽化した建物の「耐震補強工事」。2つめは「保存修理工事」が目的。木造の各々の朽ちた部分の補強や修繕などがおこなわれている。これはホールの整備活用工事とパイプオルガンの修復・修理も含まれる。
 私は5年前、この休館状態が(工事期間が)平成30年まで続くのだということを知った時、あまりの長い年月にひどく落胆したものだった。あのパイプオルガンの音色をもう一度聴くには、5年の歳月を待たなければならなかったからだ。非常に悶々とした気持ちに包まれた。この間、上野公園を訪れるたび、遠目で奏楽堂を目視しては、工事が進行していることを心理的に容認しておきながら、心のどこかで何か耐えられない気持ちに駆られていたのも事実である。それは喪失感のたぐいであろうか。来たるべき日は長く遠い。ずっと待ち焦がれている心は、恋によく似ていた。
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【手持ちの『小学唱歌集』】
 悶々とした気持ちは、旧東京音楽学校(東京藝術大学音楽学部の前身)に関する手持ちの文献を、何度もまさぐった。――岩波文庫の『日本唱歌集』の中で、伊沢修二に関する記述がある。この箇所を何度も読んだ。要約するとこうである。
 伊沢は明治初期にアメリカに留学。その帰国後、東京師範学校長に任命される。彼は慮って、唱歌を教授する教師を養成する旨、新たな機関の設置を献言。明治12年に彼は、東京音楽学校の前身である文部省音楽取調掛の御用掛となる。そしてアメリカのボストンから、音楽教育家のルーサー・ホワイティング・メーソン(Luther Whiting Mason)を招聘。教材のための唱歌集の編集に取り掛かる(『小学唱歌集』や『幼稚園唱歌集』など)。伊沢はその後明治20年、勅令で音楽取調掛が東京音楽学校と改称された初代校長に任命。23年には奏楽堂が建造され、25年に『小学唱歌』を出版する。
 歴史的な文化財である奏楽堂は、今年の秋頃、修復が終わって開館されるらしい。予定ではそうなっている。予定通りそうなるかどうか、その時になってみなければ分からない。それまでもうしばらくの辛抱である。もちろん、その際は、5年ぶりのパイプオルガンの音色が聴けることを楽しみとしたい。
 開くまで待とう奏楽堂。これを読まれて興味を持たれた方は、是非、旧東京音楽学校の奏楽堂へ足を運んでいただければ幸いである。私は待ち続ける。

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