地縛霊 恐怖の心霊写真集

【昭和55年、大阪のハイキングコースでの心霊写真】
 まず冒頭で、恐縮ながら私事を。
 先月末、これまで続けてきたツイッターを卒業。斯く斯く然々、各々のフォロワー様にたいへんお世話になった12年間であった。想い出も詰まっている。そうして心機一転。新たに今度は、硬軟織り交ぜた日々の事柄の投稿(諸々の更新情報含む)を、note.com(https://note.com/petroaonuma/)でやっていくことにした。むろん、当ブログ[Utaro Notes]は相も変わらず続けていく所存。どれもこれも何卒ご愛顧よろしくお願いします候――。

 ところでツイッターは、アカウントの完全抹消により、過去ログは私自身、一切保存所有していない(事前に申請してデータのダウンロードもしていない)。ウェブのキャッシュを見ると、自分のツイッターの過去ログにこんなのがあった。
《【ブログ予定稿】いくつか予定稿が詰まってきていますが、ちょっとこれも再び書こうと思っています。中岡俊哉先生の、“恐怖の心霊写真集”。いつになってしまうか、なるべく早い時期に》
 さらにそれに続けて、
《どういうわけだか私の場合、中岡俊哉氏とは言いたくなくて、“中岡先生”と言うのがしっくりくる。アイルランドのドルイドとかイェイツの本を読んでいて、再び親近感が湧いてきました。乞うご期待》
 6月中のツイートである。今や自分の過去のツイートは、ウェブのキャッシュを覗かなければ見ることはできないが、ああいう旨を発信した以上、約束は堅持しなければならない。古い言葉でこれを契(ちぎ)りという。言わば、かつてつながりのあったフォロワー様への恩義というべきか、いや、やはり契りである。
 私の好奇心を掻き立てる、昭和レトロな心霊現象のたぐい――それはもはや、霊を覗き見するというよりも、《懐かしい中岡先生との対話》なのだということを、昨年の当ブログ「恐怖の心霊写真ふたたび」の中で締め括った。むろん、ここでいう中岡先生とは、ずばり心霊研究家の中岡俊哉氏である。
 ということで今回もまた、中岡先生のベストセラー本の中から、これはと思う心霊写真を3点ほどピックアップし、つまらぬ感想を述べてみたくなった。どうかおつき合いを。
【中岡俊哉編著『地縛霊 恐怖の心霊写真集』】

中岡先生の『地縛霊 恐怖の心霊写真集』

 二見書房“サラブレッド・ブックス231”の中岡俊哉編著『地縛霊 恐怖の心霊写真集』は、昭和57年(1982年)初版。
《中岡俊哉編著―怪奇異色写真集好評第5弾
死後の世界が写った!
死してなお現世に想いを残す
亡者の姿がカメラにとらえられた!
家や土地に憑依した地縛霊は
はたして生者に霊障をおよぼすか!?》
(中岡俊哉編著『地縛霊 恐怖の心霊写真集』より引用)
 昭和57年初版というと、私が小学4年生の頃――ということになる。テレビや雑誌などのメディアで度々取り上げられていたオカルトへの一般の関心(オカルトブーム)は、少なくとも60年代後半から始まって、80年代を飛び越え90年代半ばまで、通俗的に続いていた背景がある。
 こうしたおどろおどろしい文言をちりばめた表紙に、心霊(?)の姿がぼんやりと写っているカラー写真が、帯状のビルボードとなっており、読者を一気に恐怖のどん底におとしめる。『地縛霊 恐怖の心霊写真集』がどっぷりと昭和の時代に浸された本――なのは、当然のことだけれど、私にとって中岡先生の“恐怖の心霊写真集”シリーズは、手元にずっと置いておきたくはないけれども、忘れたくはない愛着のある恐怖本なのであった。
 中岡先生は、そのブームの牽引者として筆頭に挙げられたい人物である。
 本の帯に記載してある、中岡先生の略歴を掻い摘まんで紹介すると、こういうことになる。――1926年に浪曲家の桃中軒雲右衛門の孫として東京の大塚に生まれ、戦後は北京放送局でアナウンサーに。1948年より超常現象の研究を始めた。日本超能力研究会を主催し、超常現象研究国際団体の役員も務めた――。
 私は、“アジア意識力学研究協会会長・イムレゲン アジア販売元代表”などという肩書きを、ウェブサイトのWikipediaで見たのだが、心霊研究家なのか霊能者なのか、あるいは研究の末に霊能者的存在になり得たのか、逆に霊能者たる奇才が研究を焚きつけたのか、そこのところの境界線が、中岡先生の場合きわめて曖昧で、人物の厚みが“昭和的”であると言わざるを得ないのである。尤もそれが、“恐怖の心霊写真集”シリーズの謎めいた魅力でもあるのだが。
【ドスの効いた声で有名な中岡先生の略歴】
 ついでに記しておこう。中岡先生は、この著書『地縛霊 恐怖の心霊写真集』の「はじめに」の中で、こんなことを述べている。
《十数年前、心霊写真について私に強迫的な手紙をよこした科学者も、今では自分自身で“心霊写真こそ、霊の存在を究明する最良の手段”といって、鑑定をしているのだ。こうした変化の最大の原因は、なんといってもこれまでの四巻を支持してくださった七十万人(直接、本を買い求めた読者)の力であり、さらに人々の思考力の変化、精神文明のへの再開眼の結果であると、私は思っている》
(中岡俊哉編著『地縛霊 恐怖の心霊写真集』より引用)
 暗にそれは、私の肩書きは読者の多数の支持によってつくりだされたもの――ということが、言えるのではないか。
 心霊現象における鑑定とは何か、それはそこに霊が存在していることを感知する能力がなければできないはずである。だが、そんなことよりも、本質を理解する方が先決である。
 そこに心霊が写っているとされる素人の撮影した写真(=オブジェ)があり、そのオブジェは、〈ここに霊体が写っているであろう〉と読者が恐怖心を掻き立てながら恣意的につくりだしたオブジェである。幸か不幸か、うっすらと人の顔らしきものを発見(捏造)した時、驚きと不安と、ひんやりとした恐怖心との三位一体の相乗効果を楽しむことができる。心霊写真とは、つまり、“地獄の楽園”的な「装置」なのだ。
 もっと分かりやすくいうと、マゾヒストたちがぴしゃぴしゃと冷酷に自らの身体に打ち当てる、鞭そのものなのだ。こうした心霊現象と称される「装置」をつくりだしているのは、読者であることは、紛れもない事実である。
 霊体を写真の中から見出してしまったマゾヒスト読者の、悪魔的な影響が計り知れない点において、中岡氏は苦慮の末、こう述べて配慮している。
《これらの写真はすべて、私のほうで鑑定と同時に、しかるべき方法でねんごろな供養をさせてもらった。これはいままでの四巻ではやっていない初めてのことである》
(中岡俊哉編著『地縛霊 恐怖の心霊写真集』より引用)
 オカルトブームにおける心霊写真礼讃の影響は、はかばかしく大きかったのだろう。写真の中に霊を見てしまった読者なりその被写体の身内なり知人が、恐怖のあまり、霊障(霊による災いのこと。霊的障害の略)のたぐいを感じる――といった悪い影響(=最悪の場合は実際的な事故)を引き起こしかねないと判断した中岡氏は、その精神的影響を最小限に抑えるべく、鑑定と同時に、ねんごろな供養を施すことにした――と断言したのである。ねんごろとは、懇ろと書き、古語「ねもころ」の変化で、心をこめて、とか、親切に扱う様子の意。これは新明解さんの辞典による語意解説である。

大阪のハイキングコースにて

 1点目の写真(冒頭の画像)は、昭和55年の秋、大阪のハイキングコースで撮影されたもの。中岡氏が出演していた大阪のテレビ番組宛に送られてきた写真――とのことだが、中岡氏は、この写真を見て思わず唸ったとある。
《木の幹からのぞくようにして、強い霊波動をもつ男の霊体が写し出されている》。なるほど、中岡氏も、その強い霊波動をはっきりと感じたのだった。しかもこの写真を撮影した人、写っている子ども達、及びこの現場へ訪れた多くの人たちが、強い霊障を受けたという。
 その大阪のテレビ番組の鑑定で、現場に、中岡氏は女性霊視能力者を同行させることにした。ところがその霊視能力者は、現場に行くのをひどく嫌がった。写真から感じる霊波動が、あまりに強すぎたからだ。中岡氏は、早く浄霊をおこなわなければという強い思いから、むりやりその霊視能力者を現場へ同行させざるを得なかった。
 女性霊視能力者は現場でもがき苦しんだ。草むらの上をのたうち回った。霊視によると、その霊は、現場で首つり自殺した男の人だという。
 ところが霊視能力者にその霊が憑依し、「たたってやるぞ!」と男の声で叫んだ。こうした霊を、不浄地縛霊という。不浄とは、けがれているの意だが、成仏できないでいる地縛霊――ということになるのだろうか。浄霊を済ますと、霊視能力者は現場を逃げるように離れ、テレビ局の車の中で倒れ込んでしまったという。
【テレビのブラウン管に写った苦しげな地縛霊】

テレビに写った苦しげな男

 2点目。写真の依頼主であるその女性は、友達5人で宇佐美へ海水浴に行ったという(静岡県伊東市の宇佐美海水浴場か?)。
 友達がその女性を写した写真は、宇佐美にある旅館か民宿で撮影したものだろうか。日本間の室内(客室?)は暗く、カメラのフラッシュでかろうじて被写体をとらえている。
 左側のほとんど影となっている棚に、小型のテレビが設置してあり、そこのブラウン管に、喜ばしいほどはっきりとした顔らしきものが写っている。これぞ、心霊写真極まれり――。
 中岡氏はこれを心霊写真と断定しつつも、《テレビ画面に写っている写真は、鑑定がたいへん難しく、霊波動でしか判断できない》としている。テレビをどれくらい前に消したものなのか、消してまもなく写したものかどうかによって、「判断が分かれる」のだという。この場合の「判断が分かれる」とは、何を指しているのか、私にはよく分からない。
 苦しげな男というと、確かにそんなふうに見える。が、例えばミュージシャンが絶唱している瞬間として見たら、どうであろう。もしかするとそれは、そういうテレビの音楽番組の画がブラウン管に映っていた――という可能性があるのではないか。
 しかし、中岡氏いや中岡先生は、これは地縛霊だというのだから、絶唱するミュージシャンではない、地縛霊なのだろう。
 地縛霊ではあるけれど、《私のほうで供養してあるから、地縛霊障は起こりえない。心配しなくてもだいじょうぶだ》のフォローアップは心がけている。そんな几帳面な中岡先生なのである。
【犬のうんちかエクトプラズムか】

犬のうんちかエクトプラズムか

 最後の3点目。松山市の椙野さんが送った心霊写真――。
 心霊写真の鑑定依頼でありながら、どこの場所で撮った写真かは記さず、ただ、天気は曇りでしたとだけ書いてあったらしく、中岡先生はほとほと困った様子だ。
 私はこの写真を見て、あっと思ったのだが、先生が注目したのは、どうやらそこではないらしい。《この墓石にかかっている赤い色(カラー写真)は現像むらではなく、かなり霊波動の強いものとなっている》と述べ、心霊写真と断定している。つまりどうやら、この写真を斜めに横切っている、ぼんやりとした帯状の影こそが、霊であるらしく、それは不浄霊体のエクトプラズムであるという。
 エクトプラズム(ectoplasm)とは、霊媒の体孔から出る流動性の物質のこと。心霊体の一つである。
 この写真のように、霊媒のない空気中に、どこの孔からなのかエクトプラズムが漂うことがあるのか――という疑問からすれば、これはエクトプラズムではなく別の心霊現象と見るべきではないかとも思う。ちなみに、カメラ好きの私がよくやらかすのは、カメラに付いているストラップがレンズの前を泳ぎ、ぼんやりと暈けて霊体的に見えてしまう現象――。カメラ本体を支えている指が写り込んだ場合もしかり。
 実を言うとそんなことはどうでもよく、正直、私が最初、これぞ恐怖の心霊写真だと思ったのは、墓石の根本にたれている、黒い物体のほうであった。
 先生がエクトプラズム云々というから、私はてっきりこの黒い、ツヤのある物体がエクトプラズムだと勘違いした。しかし、先生が述べているように、写真全体を横切る帯状の影がそれだというのなら、この墓石にかかった黒い物体はいったい何なのか。むしろ撮影者は、こちらの方が気になって、シャッターを押したような構図となっている。
 私はこの黒い物体を、犬のうんちと断定する。
 少々腹の具合の悪い犬が通りかかり、えんやとばかりに垂れたと想像する。すると、ちょうどお墓参りに来た椙野さんが、これを見てぎょっとした。「なんやこの糞は!」。
 だんだんと椙野さんは怒りが込み上げてきて、証拠がてらシャッターを切った。「だれがこんなところで、しょうたれたんや!」――。あくまでこれは、私の勝手な想像である。
 だとすると、なぜ椙野さんがこの糞写真を、中岡先生のところに送ったのかの疑問が出てくる。あるいはこの写真は、中岡先生をおちょくるためというよりも、鑑定に対する挑戦状かもしれなかった。――エクトプラズム、すなわち“霊媒の体孔”から出る流動性の黒い物質っちゅうもんを、わしは撮ったんやで――。
 へたな鑑定結果を出せば、先生の心霊研究家としての権威は、木っ端微塵に砕ける。あぶない、あぶない。送り主は「は! あの糞がエクトプラズムやて!」と勝利の雄叫び的に、笑い転げるかもしれないのだ。
 あぶない、あぶない。中岡先生は、冷や汗を掻きながら、写真の中の糞らしき物体の方は黙殺し、ぼんやりとした帯状の影に注目した。うがった見方をすれば、もしかするとこの帯状の影は、中岡先生が送られてきた写真を工作して、こしらえたものではないのか――。
 いやいや、それはあまりにひどい想像、暴言、先生への冒涜であった。大変失礼な戯言である。どうか、お許し願いたい。
 しかしながら、おかげで私は、夜も眠れないのである。あの黒い物体は、本当はいったい何なのですか――と。
 この写真から霊障を受ける可能性はないと、先生は言うが、あれから40年が経過し、今頃になってその霊障が、私のところに降りかかってくるのではないか。そんな恐怖に駆られている。というか、もう、既に災いが降りかかっているとも思え、ぽかんと開いた口が塞がらないまま、右往左往して判断できないでいる。黒い物体、黒い物体。
 もしこれを見た椙野さんのご家族の方がおりましたら、あの黒い物体について、お知らせいただければ幸いであります。なにとぞ、候。そうろう、候。
 心霊などとはかかわらず、また重箱の隅を楊子でほじくることなく、互いに、いや世界のみんながひっそりと暮らしたいよね、地球――と思う今日この頃なのであった。私の災いはともかく、ほんとに大丈夫か地球。
追記:機会がありましたら、浪曲家の桃中軒雲右衛門について調べたいところであります。ご期待を。→「天才浪曲師・桃中軒雲右衛門」
追記:本文中に《ツイッターは、アカウントの完全抹消により、過去ログは私自身、一切保存所有していない(事前に申請してデータのダウンロードもしていない)》とありますが、過去のツイートの無断転載や無断流用防止の観点から、後日、自身のツイートデータ等をダウンロードし、保管記録いたしました。
追記:ツイッターは2022年9月8日付、新アカウントにて復帰いたしました。
追記:X(旧ツイッター)は2023年9月25日付、新アカウントを暫定的に取得いたしました(情報収集用)。

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