伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』とペタンク

【伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』より「ペタンクと焙り肉」】
 パリのホテル「カリフォルニア」の、バーテンがつくる「ドライ・マルティニ」は、《パリ一番のほまれ》であると、伊丹十三氏は『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)にそう記している。
 《大きなミクシング・グラスに氷が一杯はいっている。そこへ、ヴェルモットをちょろりと垂らし、ジンをざぶりとぶっかけて、冷やしたグラスに注ぐだけのことである》――。
 パリの最高のイタリアン料理は、「フィレンツェ」のカルボナーラであり、コトレット・ミラネーゼが旨いとも述べた。ただし4人で2万円ふんだくられた――と憤慨して書いているのはご愛嬌。時代は遡って1960年代である。
 球技ペタンク(pétanque)について書こうと思っている。
 以前より、奇才の作家・伴田良輔氏の、そのプロフィールに、《趣味は球技ペタンク、世界大会出場を目指す》(『奇妙な本棚』より)とあって、それが気になっていた。
 ペタンク?
 ペタンクという音声の響きがまた可愛らしく、つい何度も口に出してそれを楽しんだりしてしまう。それにしても、これはいったいどんな球技なのだろうかと、たいへん興味を持った。
 何やら、ペタンクという球技を日本で広めたのは、この頃のフランスにおもむいていた伊丹氏だった――という驚くべき流布または喧伝は、『ヨーロッパ退屈日記』の本が証拠として示しているようである。しかも本の装画に、伊丹氏ご自身が丁寧に描き上げた“ペタンクの球”があり、先のカルボナーラの話に続いてペタンクに関する記述が、その以降の、“ゴルドの話”の中で綴られているのだった。
 

ゴルドの村

 プロヴァンスのゴルド(Gordes)の村は、「天空の城」で知られる。
 11世紀以降に築かれた城とのこと。観光ガイド的なウェブサイトを見れば、もはや村全体が、風景として、この世のものとは思えない美しさをなびいている。もちろん、古代ローマ侵攻の頃の荒々しい跡も遺されており、美とは常に、人のうら悲しさと表裏一体であることが頷ける。
 そんな地方に、優雅と思われる“別荘暮らし”をしていたという彼の話は、「ペタンクと焙り肉」の稿で綴られている。
 山がオリーブでおおわれている。そこは、《色あせてブリキのような色合い》の丘だという。別荘の持ち主(映画評論家)が、花札好きで、八八(はちはち)が得意らしい。「全英ハチハチ愛好家連盟会長」を自称しているとある。「全英ハチハチ愛好家連盟」の会員は、面白いことに、一人もいない。
 伊丹氏はどうやらそこで、花札の遊びを覚えたと解釈してよいのだろうか。《教え始めは、ボーズがムーンとか、カスがプレイン・カードとか、フキケシがアナイアレイションなどとなかなか難しかったものであるが、今ではもう、タテサンボン、オノノトーフー、花札用語を全部憶えてしまった》。伊丹氏も、ヨーロッパでは徹夜で花札に夢中だったらしい。
 
【本の装画にもペタンクの球が…】

ペタンクの話

 伊丹氏はペタンクの話を、こう切り出す。
《南仏の村人達のリクリエイションは、ペタンクという球戯であるが、これは、見る人に少々哀れを催させるほどに単純なゲームである》
 見る人に哀れを催させる球技とは、いったい何か――。簡単なルールの説明が続く。
 2個あるいは4個ずつ、野球のボールくらいの大きさの鉄の球(ブールという)を持つ。始めにプレイヤーは、コショネという小さな木製の球(ビュットともいう)を投げる。距離は決められていて、6メートル以上15メートル以内。これを標的にし、プレイヤーらが順番に鉄の球を投げ、コショネにいちばん近いものが勝ち、というルール。
《仮にきみの球が一番近く、ぼくが二番であったとすると、きみは一点を得点する。
 仮にきみの球Aが一番近く、きみの球Bが二番目、Cが三番目、ぼくの球が四番目であれば、きみの得点は三点である。
 このようにして得点を加え、最初に十五点に達したものが勝利者になって、ワン・ゲームが終るという、実に素朴なものであるが、単純なだけに、却って複雑な掛引き、高度の技術を要し、その「球趣は尽きるところがない」
 わたくしは、今、四人用の球のセットをフランスから持ち帰って、「全日本ペタンク愛好家連盟会長」を自称しているのである》
(伊丹十三著『ヨーロッパ退屈日記』「ペタンクと焙り肉」より引用)
 ペタンクの発祥は、1910年の南フランスの港町だそうで、名前の由来は、ピエ・タンケ(=両足を揃える)というフランス語からきている。フランスでの競技人口は500万人だというようなことが、「公益社団法人 日本ペタンク・ブール連盟」のウェブサイトに載っていた。ちなみに統括団体は、「国際ペタンク・プロヴァンサル連盟」だ。「国際ペタンク指導協会」という組織もある。
 日本の「ペタンク・ブール連盟」のウェブサイトには、当然ながら、そのルールが記載してある。
 伊丹氏が述べたルールは、国際ルール上、わずかながら変貌を遂げていて、木製の球ビュットを投げる距離は6メートル以上「10メートル」となっている。それから、15点ではなく、「13点先取」になっていた。どちらのボール(ブール)が近いか目測でわからない時は、メジャーを使って計測するという点も、公式ルールの厳格性が感じられる。
 ウェブサイトには、「ビュットに近づける方法(戦術)」というのも記してあって、これが伊丹氏が述べた、《複雑な掛引き》《高度な技術》に類する部分なのだろう。
 たとえばこういうこと。味方のブールにわざとブールをぶつけ、ぶつかったブールとビュットとの距離を縮める術。逆に、相手のブールにぶつけて、相手のブールをビュットから遠ざける術。もっと根本的で憎々しいのは、ブールをビュットそのものにぶつけ、ビュットの位置を劇的に変えてしまうという術など――。
 こうなると、もはや単純な、見ていて《哀れを催させる》球技とはいえず、実に戦略的かつ機動的な、知的なスポーツと思えてくるのである。
 また同ウェブサイトには、公式の大会日程が記されたページもあって、それを見ると、意外なほど――といっては失礼なのだが、全国各地で頻繁に大会がおこなわれていたりする。
 日本国内においても、ペタンクの競技人口は、決して著しく寡少というほどでもなさそうだ。誤解というか認識を変えなければならない。私が単に無知なだけであった。
 2023年度の大会日程においても、4月8日に「第33回高槻ペタンク大会」(大阪府高槻市)がおこなわれる。詳しくは、ウェブサイトをご覧あれ。
§
 ところで、先の「ペタンクと焙り肉」では、そのオリーブの丘の別荘で、こぢんまりとした夜のパーティーの過ごし方が綴られていた。私はここでの文章が大好きで、何度も読み返す。
 庭の、石をくみ上げたかまどに、オリーブの小枝を集めてくべて、ヒレ肉を焙って食べるのである。伊丹氏はこう述べる。《オリーブの枯枝で焙ったヒレくらいうまい焼肉は存在しないのだよ》
 オリーブの丘には夕霧が、そして遠くの別荘にも灯りがともり、想像すれば、なんとも落ち着いた夜の、秘めやかな居心地の良さが感じられるではないか。これを風雅――というほかはない。
 

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