恐縮だが、手元に今彼らの情報がない。
チケットを予約した時点から詳らかなデータがなかったのだから、本当に演奏のみを味わうしかなかった。
2000年6月21日、赤坂にあるサントリーホールにて、「ヨーロピアン・ジャズ・トリオ」の演奏を聴いた。
幸い、地の利が良かった。上野駅で営団地下鉄の日比谷線に乗り換えれば、25分弱で神谷駅に着く。そこから7、8分歩くと、アークタワーズとテレビ朝日の広場があって、その隣がサントリーホールの大ホールになっている。
それはそうと、神谷駅から赤坂に抜けるまでの虎ノ門の界隈は、東京の品性を最も良く表したオフィスビルとショップが立ち並んでいる。厳密には、サントリーホールがあるのは赤坂で、アークタワーズとテレビ朝日の所在地は六本木である。だから私は、裏筋に当たる神谷駅からわざわざ六本木へと歩き、赤坂に抜けたことになる。
この近辺は、「遊ぶ」という街にはなっておらず、あくまでも「休む・休息する」ための街として画している。歩くにはしんどい坂が多いのは少々おかしい気もするが、昔風に言えば「ご休憩処」のような店が割合多い。とにかく、この界隈の雰囲気はすこぶる上品であった。
この時ばかりは時間の関係で喫茶店に赴くことはできなかったが、そういう界隈であるから、緑の奥深くに音楽観賞のためのホールがあることは理想的である。
サントリーホールは個人的に一度入ってみたい会場であった。
大ホールの天井は高く、内装に関しては総木造造りになっている。床も木目になっているので、観客の靴音が騒音にならないばかりか、ありとあらゆる騒音が残響を帯びて音楽として返ってくるのである。余談かつ極めて大事なことだが、音楽ホールと演劇のためのホールは根本から構造が違う。
予約した座席は前から4列目。しかもまったくの中央とあって、観賞するには最も良い位置であった。良くみると座席も木製である。ステージには、下手にピアノが1台、中央にウッドベース、上手にドラムス。それから両脇に、ちょうどいいクラスのPAが設置されていた。ステージの裏には壮大なパイプオルガンがあるが、これはサントリーホールのシンボル的存在である。
実際はもっと若いのかもしれないが、熟年の男3人がスーツをまとっていた。「ヨーロピアン・ジャズ・トリオ」の演奏には、ストイックなものがない。
ピアノの鍵盤が弦を静かに叩いた瞬間、ピアノの音色がふわりと宙に舞い、天井の辺りで、羽衣のような余韻がなめらかに拡散した。残響と言うよりはむしろ、観客の心の中の余韻とホールの余韻とが一体となっている状態なのだろう。何が虚構で何が物理的な残響なのか、誰も判別がつかないに違いない。
前半、彼らは「ENDLESS LOVE」を披露してくれた。何と神秘的なアレンジであったか。ジャズとは、あらゆる音楽を魔法の小箱に封印するかのごとく、子供じみた遊戯でもあり、同時に大人の哀愁に満ち満ちている。私が個人的な思いを抱きながらあの曲を堪能したことは言うまでもないが、また新たな思い入れが上書きされたようにも思われた。
*
上野駅は、相も変わらず右往左往していた。度々遭遇するのだが、今回もまた駅構内の修復工事に当たった。
ただ今回は、少し驚いた。しのばず口付近のレストラン街がごっそりなくなっていたのである。赤坂に向かう前に、夕食をこの駅内のレストランで済まそうと思っていたところ、近寄ってみれば、工事のための白いベニア板で覆われていて、見慣れたレストランやらラーメン屋やらはどこにもなかった。
仕方なく、表のどこかのレストランに入ろうと思い、工事中のしのばず口を抜けることにした。この白いベニア通りは、仮設の通りなのだろうが、天井が異常に低く、頭をぶつけるのではないかと冷や冷やさせられた。高さが180センチあるかないかで、もともとレストランの店内になっていた部分である。
このまま、ここがただの通りになって、あの上野駅独特のレストラン街が消えてしまうのだとしたら、随分残念なことである。しのばず口は、特にアメ横や上野公園に行くための道標路であるから、道標路自体が現代風におしゃれになっても、あまり意味がない。まさかそんなことにはならないとは思うが、おしゃれになるにしても、程度というものを弁えなければならない。
上野駅は、あくまでも無頼な者たちの猥雑な玄関口なのだから。
しのばず口を出て、上野公園の方の交差点を渡ると、名物アーケードがある。名称はよく知らないが、個々の店で売られているアイテムは、若者が絶対手を出さない土産物やらの品々である。だとしたら、その2階にある「聚楽台」というレストランは、尚のことであろう。
私はこの「レストラン聚楽台」でビーフカレーを食べた。780円。消費税込みだと819円である。レシートを見れば、レジの担当は「◯木」となっている。いずれにしてもどうでもいいことである。
ちなみに「聚楽」とは、集まり楽しむ(=集落)意で、邸や閣の名に用いるという。「聚楽台」は、多分「聚楽第」のことかと思われる。広辞苑には、
《聚楽第…豊臣秀吉が京都に営んだ華麗壮大な邸宅。1587年(天正15)完成し、翌年後陽成天皇を招き、諸大名を会せしめた。遺構は大徳寺唐門・西本願寺飛雲閣などに現存する》
とある。
いつの時代から上野公園の近辺に「聚楽」が繁茂したのかは知らない。恐らく明治か大正であろう。どうも上野に来ると、カレーライスを食べないと気が済まなくなってしまった。「レストラン聚楽台」はあまり入る店ではなかったが、こなれた熟年のウェイトレスが親切なので落ち着く。今後、ここに立ち寄る機会が増えそうである。

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