【『洋酒天国』第44号】 |
フランソワーズ・サガンの短編小説「かどのキャフェ」で、ペルノーの酒が登場する。――主人公マルクは、医者から肺癌で余命3ヵ月を宣告された。彼は死を怯えた。折り重なる雑多な回想に馳せた後、大通りのかどのキャフェに立ち寄る。
ここでのサガンらしい文脈こそが、ペルノーの酒に対する私の妄想を掻き立てる。
《じつを言えば、なぜペルノを頼んだのか自分でもわからなかった。アニスの味はいつも大嫌いだったからだ。それから気づいたこの匂いが浜辺や、女の肉体や、貝類や、海藻や、ブイヤベースや、うまくできたクロールや何かを思い起こさせ、この匂いが言わば人生の匂いとなったことに》
(『絹の瞳』新潮文庫「かどのキャフェ」より引用)
小冊子『洋酒天国』(洋酒天国社)第44号(昭和35年3月刊)では、随筆家・福島慶子さんによるペルノーの記述があった。
《カルピスを水に垂らしたような極めて薄い乳白色の液体》
《ちょっと杏仁湯の匂がする》
《聞くところによればこれはアブサンの代用で、本来ならアブサンを飲みたい所をフランスではアブサンは国法で禁止されているからペルノーで我慢している》
(『洋酒天国』第44号「酔っ払い」より引用)
これらを読んで私の、ペルノーへの妄想はいっそう掻き立てられた。
【「私の選んだサケ」作曲家・團伊玖磨】 |
作曲家・團伊玖磨氏も、ペルノーについて触れている。
《かつてアラビヤを歩いていた時に、アラク(Arag)という棗椰子の実から作るお酒を愛したことがありました。強烈な、色の無い透明なお酒で、水に割ると忽ち白濁して、丁度アブサンかペルノーを思わせるものでしたが、その酔いは、何か、空を飛ぶじゅうたんや、夕陽にそびえる回教寺の尖塔の影絵にも似て、又、千夜一夜の数多い夢物語りのようにやるせなく、砂漠の旅に渇き疲れた自分にとって最上のものでありました》
(『洋酒天国』第44号「私の選んだサケ」より引用)
團伊玖磨氏は昭和28年に童謡「ぞうさん」を作曲しているが、以上のようなアラビアの話を知ると、まど・みちおさんが作詞した「ぞうさん」に曲を付けた、象という象徴的宗教的な動物への関連性に頷く部分がある。
ともあれ、福島さんの言うアブサンの代用ということを踏まえると、團伊玖磨氏が愛したというアラクという蒸留酒の代用としてのペルノーという位置づけは、私の中で益々数奇な、あるいは奇妙な酒という定義に収まりつつあり、その好奇心は膨らんでいくのであった。
開高健が吉行淳之介氏と酒について語る『対談 美酒について』(新潮文庫)が面白く、ここではアブサンの話も出る。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の映画『地の果てを行く』(1935年作品・原題「La Bandera」)で俳優ジャン・ギャバンがあるシーンで、角砂糖にアブサンを垂らし、水を入れると白く濁る、というのがあるらしい。
アルジェ、アラビア、地中海、砂漠、とアブサンやペルノーはいかにもこういった風景に溶け込んだ酒、ということになる。
ところで、この第44号表紙の彼ら4人(実は裏表紙にもう一人)についてが、よく分からない。パリの伊達男、うたって踊る男性四重唱団、フレール・ジャック、と本誌で紹介されているのだが、私自身の調べが及ばない。アンドレ・ベレック、ジョルジュ・ベレック、フランソワ・スーベラン、ポール・トウレンヌという彼ら。黒い髭にタイツ姿、シャンソンやマイムが得意のようだが、本誌の紹介写真などを見る限り、名人芸である。
愛されるペルノーと共に、フランスは遥か遠い。
第44号についてはこちらに続く。
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