自分が《創作》というものに面と向かって立ち向かう時、過去の、様々な記憶や経験から何物かを引っ張り出してきて、その突破口にしてしまう、ということがよくある。特に、人からの影響、すなわちその人の情緒や情感の忘れがたい記憶などは、《創作》への大きな足がかりとなることが多い。
さて、ある古い記憶から。
その人、はおそらくジャズに関心があったとは思えないのだが、私はその人とほんの一瞬擦れ違った際に、ジャズ特有のアンニュイな旋律が聴こえてきて、ハッとなり、そのドラマチックな一瞬をよく憶えている。
その人は高校時代の同級生であった。クラスでは秀才肌で通っていた。
秀才とは、実に気苦しい言葉である。根っからの秀才は、無口であったり、性格が少し傾いていたりする。故に面白かったりする。しかし当人は、ざわざわと面白がったりしないのだから、やはり根っからの秀才である。
尤も、思春期を通り過ぎる頃というのは、誰しもそんな態度の、つまり無口で斜陽で、学校という小社会に対する抵抗主義を貫こうとでもいうような、無益な反骨さを具有していたりする。が、それにしても、秀才は、それすらも自己主張しない。どこか気苦しい。
高校時代はその人の印象について、私はほとんど「白いワイシャツ」姿の背中しか見ておらず、3年間、あまり話をする機会がなかった。その人の「白いワイシャツ」は安手のポリエステル製(綿との混紡?)で、私も3年間、安いからそれで通してしまったのだが、綿や麻のような真っ白という色ではなく、少し青みがかった白色なのだ。この微妙な色彩の印象は忘れていない。
その人が、高校を卒業して6年後に、とある街で、通りをぶらついていたのを目撃した。いや、おそらくぶらついていたのではない、通勤での帰宅途中であったのだろう。あの頃と同じような「白いワイシャツ」姿で、黒っぽい鞄をぶら下げていた。またしても、青みがかった白色、である。
その人は同級生である私にまったく気づかぬまま、擦れ違って通り過ぎてしまった。何か窮屈な、安堵を失った表情ではあった。ところがどういうわけか、その擦れ違った瞬間に私は、ジャズの音楽を妄想的にとらえたのである。
耳で聴いたのか、心で聴いたのか。
その瞬間に本当にどこかでジャズが鳴っていたかどうかは、今となってはどうでもいいことだ。しかしながらその抽象としてのジャズが、私の身体に入り込んだ時、まるでその人の鬱屈さが乗り移ったかのように、その音楽という幽体――あれはエクトプラズム――が不穏なストレスとなってしまったのだ。
それから3年後。まったく別の用件で私はその人の家に電話連絡をした。高校時代にはほとんど口を利いたことがなかったわけだが、不思議と会話は成立した。
会話の中でその人は二度ばかり、「会社でポカをしちゃいまして」と漏らした。
ポカ?
ポカという言葉に私は新鮮な音を感じた。ポカとはポーカーのことではない。失敗、という意味である。このポカという可愛げな言葉からは想像もつかない、何か大きな失敗を直感した。その人の心の中では長らく、そんなような大事が続いていたのだろうか。
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私がエクトプラズムから解放されたのは、随分後のことである。ジャズを聴きまくって、悪魔払いをした。故に、その人の消息はあまりよく知らない。
『RAY BRYANT TRIO』。あの乳白色の背景の、カメラの前で煙草をくわえた、ドヤ顔のレイ。私はこの紙ジャケに酔い、結局はジャズのトラッドに救われた。記憶に閉じ込められていたあの時の、その人と擦れ違った瞬間のジャズの音楽が、トリオの「BLUES CHANGES」に置き換わったから。
青みがかった白色から優しい乳白色へ。レイのくわえる煙草も白いように、鬱屈していたフレームが途端に真っ白になって、私の中のもやもやが忽ち消えた。
そう言えば専門学校時代の先生(斎藤宏嗣先生)の著書には、カウント・ベイシーとデューク・エリントンの楽曲を弾いたレイ・ブライアントのアルバムを優秀録音の一つとして挙げている程度で、レイはどちらかというとあまりぱっとしない。しかし私はレイ・ブライアントのトリオが好きである。レイは格好いいのだ。
こういったように、余計なお世話となるだろうが、秀才で「白いワイシャツ」の、その人に関するいくつかの記憶も、私の《創作》に少なからず加担してしまっている。
時に、噂ではないにせよ、まだなんとなくその同級生の、ポカの余韻がいまだにずっと対流しているような気苦しい状況を、見聞したりもする。人生にはいろいろなことが起こるけれども、窮屈な心持ちで物事をとらえるのだけはやめた、という雰囲気は少しばかり漂ってきた。しかしまだまだだ。
いずれにしても私は、その人にエールを送りたい。そのためにこれを書いた。人生を笑い飛ばしなさい。ジャズを聴きなさいと。
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