『洋酒天国』とパリの裏通り

【『洋酒天国』第18号】
 近頃私はさらに活気づいて“ヨーテン”すなわち『洋酒天国』を読み漁っている。
 この本に出会えてありがたい。酒の嗜み方の手引きというだけではなく、壽屋のPR誌的な枠を超えた、あらゆる人文学へのパイプ役となっている。今となっては貴重な誌だ。
 これが酒――特に私の場合はウイスキーの肴であることはもちろんのこと、そうした人文学や芸能、世界史にまつわる記述を再発見したりして、目から鱗が落ちるのである。これが何より楽しいし、酒が美味くなる。

 『洋酒天国』(洋酒天国社)第18号(昭和32年10月刊)の表紙は、気取った外国人。英国風の身形で、煙草を片手に、紫煙を燻らしている。ちなみに裏表紙は、同じ彼が黒いサングラスをしたもっとワイルドな恰好で、ギャング風である。
 彼は往年のタレント、ロイ・ジェームス氏である。
 ロイ・ジェームス氏を知っているのは、かなり年配の方だろうと思う。私が子供の頃の1970年代に人気があった(私の好きな)テレビ番組「霊感ヤマカン第六感」(司会はフランキー堺さん)にロイ・ジェームス氏が出ていたらしいのだが、さっぱり憶えていない。「霊感ヤマカン第六感」はマルチプル・スクリーンを用いたクイズ番組の先駆けと言ってもよく、音楽はあの山下毅雄氏である。これらについては改めて別の稿に譲りたい。 さて、ロイ・ジェームス氏の表紙を折り返すと、スコットランド俚謡が引用されていて、何やら酒の酔いがいっそう深まる気がする。
《酔いをさまして 素面(しらふ)になって それから…… 酒瓶(ボトル)を引き寄せる》
(『洋酒天国』第18号「スコットランド俚謡」より引用)
 それにしても、この第18号はどこか、腑に落ちない。何かが足りない。そう足りないのは、ジョークだ。エロスだ。毎号いつもどきついカラーのヌード・ピンナップのたぐいが附されているのだが、今号にはそれがない。何故であろう。「勲章のコレクション」「こんなあそびはいかがです? その1・遊園地」「その2・酒場のギャンブル」「座談会 空・ロケット・酒」といった記事が並び、決して堅苦しい話題ばかりではないのだが、なんとなくいつものような調子のユーモアとブラック・ジョークと、そして裸婦がないのである。まあ、たまには硬派な“ヨーテン”もいいだろう。
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【田川博一著「パリの裏通り」】
 ということで、エッセイ「パリの裏通り」で読書と酒の潤いを満たすことにした。このページの写真と文は、文藝春秋漫画読本編集長の田川博一氏となっている。
 「パリの裏通り」は、田川氏のフランス紀行である。冒頭、《名前は忘れてしまったが》としているが、どうやらこの裏通りは、パリのヴィスコンティ通り(Rue Visconti)ではないかと思われる。
 インターネットで現在のヴィスコンティ通りを画像検索したら、度肝を抜かれた。現在のヴィスコンティ通りは、落ち着いた淡黄色の塗り壁に覆われ、その見た目があまりにも違うのだ。
 昭和32年頃に田川氏が撮られた写真の中の、ユマニテ紙やフィガロ紙などが貼られた壁新聞の掲示場の汚さといったらない。糊で貼られた新聞は完全に剥がされることなくその大部分を残しつつ別の新聞が上貼りされていたりしていてけばけばしい。直線に伸びた裏通りの路面は今とまったく変わらないが、この建物の壁面の黒々とした陰鬱さや猥雑さは、まさに19世紀のバルザックが通っていた頃のままなのではないだろうか。
 この写真をよく見ると、中央に佇立している男性が右手に、鋏らしいものを持っている。鋏でなければ何であろうか。この暗い裏通りで、男が何故鋏を持つのであろうか。いずれにしても男性の表情は堅く、そして酷く陰りがあって物騒だ。――どうもやはり、第18号の雰囲気は軽みがなく、逆に重々しく硬派である。
 編集後記を読んで、はたと納得した。
 “ヨーテン”編集発行人の開高健氏は、不在。月夜の晩にゲイバーに行っていた、らしい。裸婦が遠いわけだ。

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