【異例の再登板。『洋酒天国』第44号】 |
当ブログの2014年5月27日付でヨーテンの第44号を既に紹介している。「『洋酒天国』とペルノー」である。最近、懐かしくなってその第44号を手に取って読み返してみた。その中身の内容の充実さと比較して、自分が書いたブログの本文が、随分と物足りないものに思えた。4年前の本文では、サガンとフランスのリキュール酒ペルノーの話に終始しており、粗末とまでは言わないが、ヨーテンの中身の紹介としては、ちょっと天然すぎて調味料的旨味が足りないし味気ない。悔いが残るというか、気分的にもこのままでは体に悪い。ならば――再び第44号を紹介しようではないか、ということで、異例なことながら今回は、『洋酒天国』第44号“再登板”なのである。
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【前回紹介したパリの伊達男達、フレール・ジャック】 |
壽屋(現サントリー)のPR誌『洋酒天国』(洋酒天国社)第44号は昭和35年3月発行。この年(1960年)を振り返ってみると、ちょうど安保闘争が最高潮に過熱していた頃で、4月にはサドの小説『悪徳の栄え』で猥褻表現が問題視された訳者の澁澤龍彦が起訴されている。いわゆる“サド裁判”である。さらにこの年は、西田佐知子さんの「アカシアの雨が止む時」が流行。いま聴いてもこの歌はいいし、この人の声はとてもチャーミングで男心をくすぐる。西田さんと言えば、いまでも容易に、庶民派の日本酒“菊正宗”のコマーシャル・ソングでその美声とコブシを聴くことができる(曲名は「初めての街で」)。
昭和35年に日本公開された映画を一つ挙げる。ウィリアム・ワイラー監督のアメリカ映画、チャールトン・ヘストン主演の『ベン・ハー』。これは、ユダヤの青年を主人公にしたキリスト誕生に絡む冒険譚で、言わば泣く子も黙る大長篇映画であった。上映時間は212分。約3時間半と恐ろしく長い。
『ベン・ハー』については、中学校時代の鈍色の思い出がある。おそらく卒業式間際だったのだろうと記憶しているが、正規の授業をほとんどやらない3学期のいずれかの頃、教室で『ベン・ハー』を観る羽目になった。実はその日一日、3学年の授業は限りなくほったらかし状態となったのである。“自習”という授業の名目で、午前から午後にかけて、教室のビデオデッキに『ベン・ハー』のビデオテープがかけられた。担任の先生がレンタル・ショップから借りてきたビデオテープと思われる。
授業を長くほったらかしにするには、何かビデオを流せばいい。それもできるだけ長々としたものを。そういうつまらぬ発想でおそらく、『ベン・ハー』を選んだのだろう。中学生にはやや小難しく、古代ローマ時代の話ということもあり、この長尺の映画を最初からおしまいまで観た生徒は、誰一人としていなかった、はずである。
教室ではクラスメイトが“自習”を放棄し、無邪気なおしゃべりで盛り上がっている傍ら、テレビモニターに映し出されているチャールトン・ヘストンがただ一人、黙々と…と言うべきか、あちらこちらと動き回って体を傷つけ、鞭を打たれ――おっと鞭を打たれたのは『猿の惑星』だったか?――苦悩と怒りにのたうち回っていたのである。一躍チャールトン・ヘストンの名を挙げた名画中の名画は、かくも現役の中学生には不評であった。ちなみに私が中学校を卒業したその1987年には、アメリカで『The Cure for Insomnia』という映画があったそうである。この上映時間はなんと5,220分(87時間)。『ベン・ハー』が小粒の映画に思えてくるから嘆かわしい。
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【山本満喜子さんの寄稿「葡萄酒とアルヘンティノ」】 |
閑話休題。さて、ヨーテン第44号は、文化人類学者・祖父江孝男氏の「インディアンと酒」の寄稿で始まって、その次が、例のペルノーについて書いた福島慶子さんの「酔っ払い」と続き、その次の寄稿エッセイは、山本満喜子さんの「葡萄酒とアルヘンティノ」。山本さんは薩摩出身の海軍大将、内閣総理大臣、伯爵だった山本権兵衛の孫である。タンゴの踊り手でもある。
この「葡萄酒とアルヘンティノ」を読んで、私は、その飲み物が無性に飲みたくなった。アルゼンチンから日本に留学してきた知り合いの青年が、ことさら母国の葡萄酒“メンドウサ”が飲みたくなった、国へ帰りたいという話であり、南米のワインの美味さはやはり有名である。向こうではどんな貧乏人でも飲めるこの酒――山本さんは《アルゼンチンの人間にとって葡萄酒はかけがえの無い健康飲料》と説く――が、この当時、日本では500円した、ということで若い留学生が毎日飲めなかったらしい。アルゼンチンのワインではマルベックとか辛口の白ワインのトロンテスというのが知られているけれども、私もこれを機会にぜひ飲んでみたいと思っている。ちなみに文中にある“セッコ”とは、シクロス(Ciclos)のことか。ワインには詳しくないので、間違っていたらごめんなさい。
【都筑道夫のショート・ショート「罪と罰」】 |
相変わらず都筑道夫氏のショート・ショートが面白く、“洋酒天国版世界名作全集”という肩書きで彼のハードボイルドなショート・ショートが短文の中に凝縮され、ヨーテンを片手に酒を飲む者の気分を、いっぺんにして大人の性愛とリアリスティックな日常の苦々しさとの酩酊にいざなってくれる。
「罪と罰」。原作は言わずもがな、ドストエフスキー。しかしここはドストエフスキーとは無関係と言い切っていい。いや、関係あると思ってもらっても構わない。どちらでもよい。どちらにしても都筑氏の文体は孤高でしかも普遍性に満ちており、読む者を現実という奈落の底に突き落としてくれる。
情婦を殺害した男は証拠隠滅のために、自宅の妻の部屋に駆け寄るが、そこで思わぬことが起こっていることを知らぬまま、情婦殺しの証拠を消去したために、二重の罪を被ることになる――。ドストエフスキーの小説よりも幾分、狡猾で非情で冷淡である。だが、ドストエフスキーの文体は重く暗いが、都筑氏の文体は決して暗澹たる痛々しさはない。ショート・ショートとしての小説の「軽み」はとても重要な要素であって、酒飲みに重く暗い文体は水と油なのである。
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ということでヨーテン第44号の“再登板”で増補した。最後半のページにある「洋酒天国三行案内」には、ジャッキー・マクリーンのLP「45&6」求む、交換も可…といった神戸の一般読者からの投稿文が載っていたりして、それを見ただけでも私は血潮が騒ぎ出す。CDの「45&6」はいま手元にある。前回紹介したパリの伊達男達、フレール・ジャックについてはたいへん興味があるので、ショップでアルバムCDを詮索し、取り寄せて空輸してもらうことにした。ペルノーもいいが、南米のワインも飲み応えありますよ、ということで今回はここで閉じる。
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