【映画『ウォー・ゲーム』のパンフレットの表紙。二人の顔が画面に映った顔と違う】 |
かつて、パソコンマニアの高校生が、軍のホスト・コンピューターのネットワークをハッキングし、アメリカと旧ソ連の全面核戦争を引き起こしかねない事態に陥らせた――という驚愕の映画があった。監督はジョン・バダム氏。1983年6月公開アメリカ映画『ウォー・ゲーム』(WarGames)である。主演はマシュー・ブロデリック(Matthew Broderick)、アリー・シーディ(Alexandra “Ally” Sheedy)、ダブニー・コールマン(Dabney Coleman)。
日本での公開当時(83年12月)、私は小学5年生であった。この映画が話題を呼んだことをかすかに憶えている。いわゆる平凡なアメリカ人少年が、米ソの全面核戦争を引き起こすなんて――。
既に私の自室には、国産のパーソナル・コンピューターNEC PC-6001のパソコンが据えられていた。PC-6001は、そのビジュアルやサウンド性能から、比較的ホビー向けのパソコンという位置づけであった。
確かに、シミュレーションゲーム『核戦争』(※1980年のアメリカ・アバロンヒル社の同ゲームを、82年にキヤ・オーバーシーズ・インダストリー社が国内販売向けに日本語訳して移植した、マイコンショップCSK版)を買って、友達と楽しんでいたこともあって、あの映画が“遠い対岸”のポエティックな“夢物語”とも思えなかった。
パソコン1台で、何か間違ったことをすれば、世界がとんでもない混乱に陥る――という不穏な近未来が、小学生の私にも容易に想像できた。経過をたどれば2年後、地元の茨城県で「科学万博つくば’85」が開催され、サイエンスとエレクトロニクスの新しい未来像が現実味を帯びて語られていたりした。尚、そこで見たいくつかのパビリオンの展示や解説によって、これからの未来は、オンライン・ネットワークでの情報通信が当たり前の時代となることのリアリティがあったのだ。
いずれにせよ、あの映画『ウォー・ゲーム』を観た時の、コンピューターやエレクトロニクスに対する不安な心持ちの興奮が、とても懐かしい。むろんそれは、娯楽映画に対するノスタルジーに近いものであり、主人公の平凡な高校生を見事に演じきった、マシュー・ブロデリック氏の存在感の功績が大きい。ブロデリック氏のことについては、この稿では語らないことにする。
【主演のマシュー・ブロデリックとダブニー・コールマン】 |
『ウォー・ゲーム』のストーリー
ストーリーをおさらいしておこう。
冬。アメリカのとある平原地帯は、その日吹雪に見舞われていた。地下の軍事施設(核ミサイル発射基地)ではパニックが起きた。ソ連が核ミサイルを撃ってきて、反撃のためのエマージェンシーコールが、突如鳴り響いたのである。
施設の要員たちは、堅固に教育された反撃作戦プロセスを実行していくが、任務の要である核発射ボタンを躊躇して押すことができず、作戦は失敗に終わる。
実はこのエマージェンシーコールは、軍が企てた核ミサイル反撃に係る、要員たちのヒューマン・エラーを分析するための訓練だったのだ。後にこの結果をふまえ、緊急時のヒューマン・エラーを取り払うべく、コンピューター制御によって自動化し、大統領令で直接的に核反撃できる軍事プログラムを構築し、システムが転換されるのだった。
シアトル郊外に住む17歳の高校生デビッド・ライトマン(マシュー・ブロデリック)は、学校の勉強は不得意だが、パソコンに関しては大得意。いわゆるクラッカー(外部のネットワークにクラッキングして侵入することを楽しむハッカー)の少年だった。
彼は級友のジェニファー(アリー・シーディ)を家に連れてきて、自身のパソコン(なんとこれは歴史的なパソコンであるIMSAI 8080)を使い、学校のネットワークに侵入(ブレーク・イン)してしまう。そして、ジェニファーの悪い評価がつけられた教科のアルファベットランクを、DからCに書き替えてしまうのだ。
そんなデビッドの悪戯に怒ったジェニファーは、気分を害して帰ってしまうのだが、後日、すっかり気が変わって、やはり自分の悪い成績を書き替えてほしいとデビッドに懇願する。すっかり仲睦まじいカップルとなった二人だったが、デビッドは既に、ジェニファーに言われるまでもなく、彼女の成績をDからAに書き替えていたのだった。
その日、ジェニファーがデビッドの家に訪れていた時、デビッドは、航空会社のネットワークをクラッキングして侵入。遊び半分で海外渡航のチケットの予約をしたりする。
さらに別の会社のネットワークに侵入すると、今度は、コンピューター相手に楽しめるゲームのリストをプルダウンさせることに成功。すっかり有頂天になった二人は、リストにあった“世界全面核戦争”をプレイし始めるのだが…。
【マシュー・ブロデリックとガールフレンド役のアリー・シーディ】 |
起こりうるのだということ
たいへんエキサイティングな『ウォー・ゲーム』のストーリーを、全て語ってしまうのはもったいない。そのあとの展開は、映画を観てのお楽しみ――ということにしておく。
いま手元に、『ウォー・ゲーム』公開時の貴重なパンフレットがある。いうまでもなく、このパンフレットにはこの映画に関する詳細の情報が記されているのだが、まず、当時のアメリカ国内のメディアにおける『ウォー・ゲーム』評を、2点ばかりつまみ取って引用しておこう。
《カメラは、巨大な戦略ルームのセットを縦横無尽に動き回り、黒くそびえるコンピューター群の間を走り回る。この感覚は、バダムが最初の大ヒット作〈サタデー・ナイト・フィーバー〉で見せた、あの流れそのものだ。
ダイナミックな視覚効果を、貪欲にエキサイトを求めるあまり、リベラルなメッセージを失った感はあるが……〈ウォー・ゲーム〉は、核戦争の恐怖をケタ外れなスタイルで、いとも簡単に描いている。エキサイティングな、そしてクラクラするような娯楽作品がこれだ――ニューヨーク・マガジン》
《いかにして世界が、想像を絶する戦争のふちに立たされるか? この映画では、それが、もしかして…という可能性を常に保ちながら描かれている。押しつけがましくない魅力と多彩と興奮……おもしろい話の好きな連中にはこたえられない作品だ――デイリー・テレグラフ》
娯楽映画としての好評云々の話はとりあえず脇に置いておいて、この映画の肝となるテーマ(核心)が2つあることに着目したい。
一つは、本来的に部外秘でなければならないオンライン・ネットワークに、部外者がクラッキングして簡単に侵入し、内部の情報にアクセスできてしまっていること。まだ当時、ネットワークの高度なセキュリティ・システムの構築といった認識が甘かったのが原因だ。
そしてもう一つは、核戦争における国家と国家の軍事衝突が、作戦の制御プロセスでいかに人間(要員)どうしのやりとりがあろうがコンピューターによる自動であろうが、まことに核戦争の報復作戦プログラムなるものの不如意で不毛な論理が、われら全世界の人々の不安を煽っていること、そのことを真に悟らせてくれているということ。
この2つのテーマの問題は、驚くべきことに当時、既に現実の災難として起きていたことを、パンフレットに記したそれぞれの解説者が述べている。アメリカのウィスコンシン州ミルウォーキーで起きた「THE 414S」の「コンピューター侵入事件」についてだけふれておきたい。
「THE 414S」コンピューター侵入事件
1983年6月3日、マンハッタンの「スローン・ケタリング記念がんセンター」(Sloan-Kettering Cancer Center)のコンピューター室の責任者が、ある異変に気づいた。オンラインのパスワードが盗まれ、患者の治療費が一晩のうちに1,500ドル消されていたのだ。病院ではパスワードを替えたが、すぐに何者かがネットワークに侵入し、新しいパスワードが読み取られてしまった。病院は市警に通報。FBIとニューヨーク電信電話保安局が捜査に乗り出した。
そうした中、病院側は侵入者との連絡をとるべく、コンピューターにメッセージを書き込んだ。病院側に損害があったこと、そして盗んだデータの返却を求める旨のメッセージだった。
すると1時間後、侵入者は病院に電話をかけてきた。謝罪の電話である。ただし、ブレーク・インの方法は明かさなかった。彼の名はニール・パトリック(Neal Patrick)といい、なんと17歳の少年だったのだ。
彼はミルウォーキーに住む少年たち6人のグループ=ハッキング集団の一人だった。グループの名は「THE 414S」。彼らが住む地区の電話局番からとられた名だ。
FBIの捜査によると、彼らは、テレネットという全国的なコンピューターのネットワークを用い、およそ1ヵ月間に60ヶ所以上のコンピューターにブレーク・インしていたことがわかった。「スローン・ケタリング記念がんセンター」のほか、ロスアラモスの核兵器研究所、ロス市内のパシフィック・ナショナル銀行が含まれていた。
事件は報道され、全米に衝撃が走った。国防長官のワインバーガー氏は、軍事施設の情報関連のコンピューターのセキュリティをチェックするよう命じた――。
彼ら「THE 414S」は、ネットワーク上のコンピューターの管理体制とパスワードの脆弱さを指摘した。それはあまりにも無防備な管理体制だったからだ。ブレーク・インに成功した多くのコンピューターでは、“test”“system”“demo”といった簡単なパスワードが用いられ、ほとんどそれらは変更がなかったという。
当時、一部のメディアは、彼らを英雄扱いした。そして、露呈した新しいコンピューター時代の不完全さを皮肉った。とくに17歳のパトリック氏は、熱狂的な歓迎によって各種マスコミの取材にもてはやされた。
これは、「THE 414S」のWikipediaによる書き込み説明だが、こうした報道の後、下院議員のダン・グリックマン氏が、コンピューターのハッキングに関する調査及び新しい法律を要求。83年9月26日の下院でパトリック氏はハッキングの危険性について証言。以後、コンピューター犯罪に関する6つの法案が下院に提出されたという。むろんパトリック氏は当時未成年であったため、起訴されることはなかった。
2020年11月8日。FBIに提出された情報公開法の請求には、“No Responsive Documents”(応答できる文書無し)という回答があった。
【二人と対峙しているのはフォルケン博士役のジョン・ウッド】 |
INSがまだ夢の社会だった頃
話が長くなって恐縮だが、1983年(昭和58年)当時の日本の一般的な認識においては、まだコンピューター犯罪、いやそもそもコンピューターと社会とのつながりについて、限られた世界の話と思い込んでいた人が多かったのではないか。
サイエンス・コーディネーターの鹿野司氏の、丁寧な記述がそれを物語っている。以下、一部切り取って紹介しておく。
《アメリカでは、日本と違って無数のコンピューターが電話回線を通じて、相互に連絡を取りあっている。パソコンを持っている人なら、このコンピューター・ネットワークを使って、遠隔地からでも、大型コンピューターのデータを利用できる、という寸法だ。現に、アメリカのエリート・ビジネスマンなら、電話としても使える通信機能付きのポータブル・コンピューターを、どこへでも持ち歩くのがすでに常識となっているほどだ。
このようなシステムは、高度な情報処理を要求される社会では絶対に必要になる。近い将来日本でも、INS等でこのようなコンピューター・ネットワークが作られていくことだろう。しかし、これは便利な反面、重大な危険をはらんでいる。やりようによっては、電話回線を通じて、遠方から重要なデータを盗んだり、破壊することさえ可能だからだ。
もちろん、そのような重要なデータは、厳重にロックされていて、正しい利用者だけが知っている暗号をタイプしない限り、決してアクセスできないようになっている》
(『ウォー・ゲーム』パンフレットより引用)
INSは、たいへん懐かしい響きを持った、ある種の郷愁をそそられる略語だと思った。INSに関して、こんなふうな解説が添えられていた。《インフォメーション・ネットワーク・システムの略で、現在電電公社を中心に構想が練られている。ニューメディアの本命》。
ちなみに当時のモデムは、「音響カプラ」というもので、小型の機械装置に受話器を置き、特殊な音声信号(ピロピロピロ、ガガガーといった音)の送受信によってデータをやりとりしていた。映画『ウォー・ゲーム』にも登場するアイテムなので、映画を観る機会があったら、ぜひそれもチェックしてみるといい。
§
後年のWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)のインターネット黎明期で、同じようなコンピューター犯罪、あるいは個人情報の消滅といった問題を扱った映画がある。アーウィン・ウィンクラー監督の『ザ・インターネット』(The Net)だ。1995年のアメリカ映画である。
この映画にまつわる言説は、まさにそのWWWのひっそりとしたところに今も拡散していて興味深い。それはそれで私は追いかけてみる価値があると思っているが、レトロチックなIMSAI 8080を所有する少年が、米ソを核戦争寸前に陥らせたコンピューター危機映画の鼻祖は、なんといっても『ウォー・ゲーム』であることを忘れてはならない。
そしてこれらの問題は、いうまでもなく、私たちの日常生活の中で常にセンシティブであり続けるクライシス(危機)であり、“遠い対岸”のポエティックな“夢物語”であることは決してない。
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