つい先日、ウォーレン・レイト監督の映画『ロマンスに部屋貸します』(1993年)を久しぶりに観た。主演はアナベラ・シオラ、マシュー・ブロデリック、ケヴィン・アンダーソン。ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジがバックグラウンドとなって、とあるアパートに、3人の男女がそれぞれ2日ずつ曜日を替えて住むという、ほんの少し奇天烈なラヴ・コメディであった。
いうまでもなく、そのストーリーは男女のラヴ・ロマンスの成れの果てを描いている。どうやら“恋話”とニューヨークは不可分な関係らしい。
ニューヨーカーのそうした生活ぶりを、私は映画などで垣間見るのが大好きである。人間由来のドグマから解放されたいという欲求をもってニューヨークに移り住んだ人々が、皮肉にもまたそこで別のドグマティックな苦悩に陥るさまが、この手の映画の真骨頂だと思っている。オフオフのブロードウェイの舞台もしかり。
そんなニューヨーカーをあえて堅苦しい和風な言い方でいい表すと、「独立不羈(ふき)奔放」ということになろうか。むろん私個人の邪推な表現であって、他意はない。

恋の話を聞かせて!
少々噂になっていたというのもあって、ある知り合いの20代の男の子に、こっそり“恋話”を聞かせてもらおうと、好きなカノジョのことを訊ねようとしたら、その男の子はすっかりはにかんで、ほとんど喋ってもらえなかった――。これは私の最近の失敗談である。
〈ニューヨーカーとはずいぶん違うなあ〉ということを思った。例えば日本人は、世界一そういったたぐいの話がめっぽう苦手で、恥ずかしがり屋である――というのは、少々私の乱暴な思い込みだったらしく、日本人以外の若者だって、同じくらいに自分の“恋話”をするのは、恥ずかしいようだ。そんなプライベートな話を人に聞かせるのは無理無理という人は、いっぱいいるのだろう。尤も、私の根っからの図々しさ(あるいはこれをつっけんどんの破廉恥さといっていい)が、人を傷つけていないか、そちらのほうが心配だ。
そうこうしているうちに、今度は自分の“恋話”をしなければならなくなった――。そんな局面に差し掛かったところで、お茶を濁すためにこんな話を持ち込みたい。
私が子どもの時分に、周囲の大人たちの誰かから、あるいはそれは友人であってもかまわないのだが、そのうちの誰かから、〈世の中にはね、ラヴ・ソング(恋の歌)というのがあってね、人は恋をした時、その歌を聴き、その歌を歌うものなのだよ〉と教授してくれたような経験談は、残念ながら持ち合わせていないというか憶えていない。
いやいや、ラヴ・ソングは知らず知らず、耳から入ってきて、自分の心情の果実になるものなのだ。なぜなら、その人は恋をしているから…。
仮にその頃、前述のようなことを大人から教授されたとして、自分が初めて恋を経験した時の真っ先に、教えられたラヴ・ソングを聴いてみようとか、歌ってみようとか、そんな心情になることはたぶん、ありえないのだろう。
恋もラヴ・ソングも教えられてどうこうなるものではなくて、知らず知らず、自分の心情の果実になるもの。つまり、本当に恋をした時に、自然と自分の心と向かい合っていた歌が、いわゆるラヴ・ソングといわれている曲であったと、あとで気づくものなのではないか。真に心にぐさりと刺さるラヴ・ソングは、知らず知らず、自分で自然と探り当てているものなのだろうと私は思う。
前置きはこれくらいにして、早く話を“ニューヨークの話”に持っていきたいのだが、そうもいかない。しばしこのまま、お付き合い願いたい。

ホイットニーが「夜のヒットスタジオ」に出演
アメリカのポピュラーミュージック界の歴史に刻まれる偉大なディーヴァ、ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)の熱烈なファンの間では、彼女の数ある輝かしいフェイバリット・ソングの中から、意外なほど地味な曲として受け入れられながらも、実のところ、最も真摯で愚直なラヴ・ソングとして知られているのが、「All At Once」(1985年)という曲であろう。
ホイットニーが長年歌い上げていた曲の中でも、真のラヴ・ソングとしてこの曲を挙げる人は、決して少なくない。いわば“隠れた名曲”というやつだが、ホイットニーが生前、この曲をことのほか愛して大事に歌っていたことは、ファンの間ではよく知られていることである。ちなみにこの曲が収録されているアルバムは、ファースト・アルバムの『WHITNEY HOUSTON』だ。
彼女のデビュー当時から大ファンだった私は、86年の10月8日――私は中学2年生(14歳)だった――のフジテレビの「夜のヒットスタジオDELUXE」に、なんとホイットニー本人が出演するという情報を事前に周知していて、その日の夜、番組の始まる前のコマーシャルから一寸たりとも画面を逃すまいとして、テレビにかじりついて観ていたのは憶えている。ただし、あいにくその頃まだ、ビデオデッキという磁気テープ式録画装置が我が家には無かった。したがって、彼女がなかなか登場しないからといって、ちょっと風呂に入ってくるかなどといった呑気なことは一切考えなかったし、とにかく登場の瞬間を逃したら最後、ハラキリもの、一生後悔する…まで思い詰めた、空前絶後の必死の瞬間瞬間だったのである。
ところで私は既にその頃、彼女のファースト・アルバムは持っていて、全曲を貪るように聴きまくり、英語の歌詞を覚え、自分でも歌えるように特訓していた。人からは笑われるかもしれないが、本当にそれは特訓といえるだけの特訓だったのだ。
今か今かとテレビにかじりついて、彼女が登場する瞬間を見逃すまいとしていた少年の私は、心がやきもきとしていた。ホイットニーが何を歌ってくれるのかさえわかっていなかった。
事前の情報では、そのあたりのことまでは触れていなかったと思う。やがて映像が中継映像と切り替わり、聴こえてきたイントロは――すぐにわかった。「All At Once」だ。どこかの堅牢な建物がズームアップされるが、それがどこだか、中学生の私には全くわからない。
やがて建物の中のホイットニーの映像と切り替わり、革製の黒いブルゾンを着た姿で歌い始めた彼女は、若々しく美しかった。それにしても日本語字幕が鬱陶しい。
《突然ハッとなって》…《あなたはもう戻らないわ》…《あっという間に》…《こんなことになってしまった》。彼女はゆっくりと建物の階段を降りていく。《あっという間に孤独の海に遭い》…《思い出にすがっている》…《全く突然のことだった》…。
幸いにしてその時の映像を、今ネットで観ることができている。
映像を確認すると、アメリカの国旗が置かれ、自由の女神像を描いた絵画が飾られている部屋が映っており、この建物がどこのなんなのか、調べてみたくなった。
最初、ニューヨークのエリス島(Ellis Island)のうちのミュージアムだろうか、あるいはリバティ島(Liberty Island)のどこかなのではないかと、その近辺の建物を虱潰しに調べて確認したのだが、映像に出てくる建物と似た建物は見つからなかった(リバティ島にある自由の女神博物館は2019年5月にオープンしたので絶対的に違う)。映像の中のアメリカ国旗だとか自由の女神像といったものが、アメリカの建国の歴史のモニュメントを指しているのは理解できるのだが、その建物の所在と名称がてんでわからなくて困り果てた。
ところが、なんの気なしにニューヨーク市内のミュージアムを調べていたところ、ようやくわかったのである。あのホイットニーが「All At Once」を歌った建物はなんと、セントラルパークの東側に面する5thアベニューの、ニューヨーク市立博物館(The Museum of The City of New York)だったのだ(最寄りのバスストップは5 Av/E 104 St)。
あの時の中継映像――ミュージック・クリップ風にガチガチに構成された問答無用の数分間――は、当然ながら、ホイットニー側のプロダクションのオフィシャル映像としてはどこにも収まっていない、日本のフジテレビの「夜のヒットスタジオDELUXE」独自の、独占の、特注の、“ミュージック・クリップ風にこしらえた映像”であり、しかも向こうのプロダクション側のスタッフがあれやこれやと無数にフジテレビ側に要求したであろう厳しい撮影条件等をまんまとクリアした「奇跡の映像」であり、いってみれば相当な制作費がかかっているだろうことは推測できる。なんといっても、ニューヨーク市立博物館を全く借り切るのだから。
またその選曲が、ラヴ・ソングとして絶大な「All At Once」であったというのも、後々ファンの間で噂する「幻の映像」として評価を高めている。なんとか今、ネットで観ることは可能だけれど、これものちのち削除されてしまうだろうから、観ておくなら今のうちだ。

恋の歌はアメリカの建国史と紡がれて
ところで、なぜホイットニーが「All At Once」を歌う中継映像が、あのような建物の、あのようなオブジェが並ぶシーンとなったのか。
あの曲は正真正銘ラヴ・ソングであるが、その切々とした女性の恋心の歌詞と、アメリカの建国の歴史に塗り固められた自由主義への啓蒙とは、かなりかけ離れているように思われる。中学生だった私には、構成や演出のことまでわからなかったが、今観てもそういう違和感がないわけではない。
しかし、偉大なる歌手ホイットニーが、既にアメリカを代表する世界のスーパースターであり、アメリカのなんたるかを背負った国際的なエンターテイナーであるからこそ、ラヴ・ソングなんてとらえるのは小さきこと、それよりも彼女はアメリカの代表者なのだ、といったことを喧伝したかった意図があったのではないか。
偉大なるアメリカの、若きスーパースターであるということが強調され、デフォルメされ、双方のスタッフにとっていわば公認の、ある意味における確信犯的な着地点だったかと思われる。
ニューヨーク市立博物館の佇まいは、こうして写真やグーグルマップなどで眺めてみると、なかなか堅牢で恰幅があり、英国風な気品が感じられる。今回調べていて、私はとてもこのミュージアムが気に入ってしまった。
ニューヨーク市内のミュージアムに詳しいサイトによると、この市立博物館は1923年に設立され、あの場所に移転されたのは1932年だったそうである。1階はアメリカ建国通史の展示、2階は企画展の展示という感じで、市民の学びや憩いの場所としてもふさわしい気がする。
ニューヨークの観光スポット巡りでアッパー・イースト・サイドといえば、メトロポリタン美術館を外さずに訪れるに違いない。
おそらくそうした高品位なミュージアムを選択し、贅沢な観光スポット巡りで一日を過ごしたならば、復路はくだってタイムズスクエアに駆け込むのは当然である。ゆえに、ニューヨーク市立博物館は、そんな観光客とは無縁の、ちょっと落ち着いたポエティックな空間なのかもしれない。
ああ、最後に忘れないうちに書いておこう。アッパー・イースト・サイドの、セレブな高校生たちの日常や恋話を詰め込んだアメリカのドラマがある。『ゴシップガール』(Gossip Girl/2007年)である。私はこれを観て、どっぷりとニューヨーカー気分を味わいたいと思っている。まことに図々しい話だが。
突然ハッとなって、私は、“恋話”がしたくなったのである。「All At Once」はそのいいバックグラウンド・ミュージックとなろう。いずれまたアッパー・イースト・サイドだとか、グリニッチ・ヴィレッジあたりの話をしてみたい。
“恋話”とニューヨークは不可分な関係だということを、お忘れなく。


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