人新世とウイスキーと『化石入門』

 メジャーリーグの大谷翔平についてはよく知っている。でも長嶋茂雄や王貞治は名前だけしか知らない…。野球ファンであろうと、Z世代ではありがちなことである。いや、若い世代にかかわらず、そういうことはよくあると思う。ある前提条件を常識と思い込んで、片方を語りだすことは、場合によっては無理解で終わることが、あり得るという話――。

 つい最近、ジョナサン・グレイザー(Jonathan Glazer)監督の『関心領域』(“The Zone of Interest”)という映画を、私は初めて知った。昨年アメリカなどで公開され、今年日本でも公開された。
 若い世代の人たちが、この映画の細部を理解しようと懸命なのが、ある映画サイトの投稿欄を見ると、よくわかった。第二次大戦中のポーランド南部のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。そしてそのホロコースト…。そうした史実の暗部について、知らない人たちがこの映画を観て、初めて知ることになったりする。
 決してそれは、おかしなことではないのだ。ある前提条件を常識と思い込んで、片方を語ることはできない。アウシュヴィッツもホロコーストも、その語だけでじゅうぶん説明不要だ――ということにはならないのである。

「人新世」とはなんぞや?

 翻って、昨年の11月より、当ブログでは不定期連載で、「人新世のパンツ論」というのを投稿しまくっている。そのテーマを簡単に説明すると、こうである。

 日頃男性は、自分が穿いている下着のパンツを、学校や職場などで意外なほど「他人に見られているのではないか」と思い込むことがある。いや、もう既にそれをファッションにしている男性は別だが…。それ以外において、実際は、さほど見られているわけではなさそうだけれど、つい「見られているのではないか」と強迫観念に駆られることを、おもいきって逆手に取り、もうそれ自体、意識的に身だしなみやおしゃれのアイテムとして追求していこう――。そうして新しい時代のパンツのあり方を模索しよう――。あのタイトルは、そういう観点で、「人新世」としたのだった。

 お気づきの方も多いと思われるが、このタイトルは、経済思想家でマルクス主義を研究している斎藤幸平氏のベストセラー本『人新世の「資本論」』(集英社新書)をもじっている。
 私はこの、「人新世」についての注釈を、あえて素通りして、加えないでいたのだった。〈ベストセラー本だから、みなさん知ってるよね〉という前提条件――。だからといって、全く説明しなくていいということにはならない。パンツ論の展開に自身が前のめりになるあまり、「人新世」の説明を怠っていたのだった。たいへんな不手際で申し訳ない。
 この稿では、ごく平易に「人新世」について解説し、私の少年時代の“古生物学狂”についてもふれておくことにする。

現実をあぶり出す「人新世」

 そもそも私も、数年前に初めて「人新世」という語を知って、ギョギョっと面食らったのだった。〈え? そんな地質年代、知らないよぉ〉。
 「人新世」は、“ひとしんせい”とか、“じんしんせい”と読む。先に紹介した、斎藤氏の『人新世の「資本論」』の中で、こんな説明になっている。

人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世」(Anthropocene)と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。

斎藤幸平著『人新世の「資本論」』より引用

 アントロポシンとかアントロポセンを日本語に訳したのが「人新世」である。
 パウル・クルッツェン(Paul Crutzen)が2000年、メキシコのクエルナバカで開催された「地球圏・生物圏国際協同研究計画」(IGBP)の国際科学会議において、完新世という語で現代を表すのは不適切であり、われわれは「人新世」に入っているという趣旨の発言をして、ようやく、「人新世」という語が瞬く間に日の目を見たのだった。クルッツェンは過去に生態学者のユージン・F・ストーマー(Eugene F. Stoermer)がこの語を造って使っているのを知っていて、2000年の会議であらためて提唱したのだ。
 ただし今のところ、「人新世」は非公式の地質年代である。また、この年代区分の始めに関しても、はっきりとは決まっていない。

少年は化石に夢中になった

 地質年代のことを初めて知り、私が“古生物学狂”となったのは、小学3年生頃だった。12年前に当ブログ「化石の少年」で既にそのことについてふれている。
 足がかりとなったのは、児童書の小学館入門百科シリーズ89『化石入門』(浜田隆士著・昭和55年初版)であった。この本に掲載されていた図表「地質年代表」の虜になり、何度も何度もこの表をむさぼり眺め、暗記したのだった。

 この表の地質年代でいうと、11,000年前に新生代の第四紀の完新世が始まり、現代へと、地球の歴史は続いている。
 ちなみに「人新世」は、今のところ、完新世と区分が折り重なっているため、公式的にいうと現代は、やはり完新世であり、非公式的に述べるとなれば、「人新世」なのである。
 しかし、私が、あの不定期連載を“完新世のパンツ論”としないのは、もはや、いうまでもないことであろう。「人新世」という語には、人の関心を惹きつけて已まない要素が含まれている。すなわち、人類がもたらした負の影響を加味したところにおいて、そういう時代の区分を意味づけたかったからに相違ない。
 斎藤氏は、先の著書の中で、以下のような解説を加えている。

四〇〇万年前の「鮮新世」の平均気温は現代よりも二~三℃高く、南極やグリーンランドの氷床は融解しており、海面は最低でも六m高かったという。なかには一〇~二〇mほど高かったとする研究もある。

斎藤幸平著『人新世の「資本論」』より引用

 当時の子どもたちの間では、恐竜(きょうりゅう)に対する関心や熱意はすこぶる高いものであった。恐竜が地球上で繁栄していたのは、地質年代でいうと、中生代である。浜田氏の本中の言葉を借りれば、中生代は恐竜時代であり、爬虫類時代であった。今から2億数千万年前から6千万年前までの時代区分。

 中生代の前の時代を、古生代という。6億年前から2億数千万年前までの時代区分。魚類繁栄の時代であった。
 私が持っている三葉虫(trilobite)の化石は、わずか3センチほどの大きさであり、エルラシア・キンギ(Elrathia kingi)という種である。これは、アメリカのユタ州あたりのカンブリア紀層(5億3千万年前)で大量に見つかっている化石なのだ。この三葉虫が繁栄していたのが、古生代のカンブリア紀である。
 ところで、もう一つ大事なこと。
 昭和の古本である『化石入門』の地質年代表にある「先カンブリア時代」は、いま、「原生代」の「エディアカラ紀」と呼ぶ。同じく、表中の「二畳紀」は「ペルム紀」と称し、新生代の第三紀は「古第三紀」と「新第三紀」に区分して表記される。

 日本でもわずかに恐竜の化石が発見されたりしているが、いうなれば、この時代を境にして、恐竜は滅びてしまうのである。そして新生代、つまりは哺乳類の時代が、6千万年前から始まることになる。

 「人新世」は、人類が地球上に大威張りで君臨した時代といういい方はできると思うが、手の裏を返すように申せば、「人類が滅亡する時代」区分なのだ。
 しかも、この地質年代表の継承に関しては、遠い将来、人類に代わって昆虫たちが繁栄する時代が考えられる。
 人類が滅亡する頃を見計らって、「虫新世」とか、「完虫世」などと、昆虫界の“のおべる化学賞”を受賞なされたクワガタムシなにがし博士が、そんな新しい時代を命名するなんてことは、まともに考えれば、荒唐無稽な話である。おそらく、地球上から消えようとしている人類が書き記した、先カンブリアだのオルドビスだのジュラだのといった、チシツネンダイなんだらかんだら、などという継承など糞食らえだ――と噛み切ってしまうに違いない。
 人類には人類のやり方があったが、ムシたちにはムシたちのやり方がある。地球に対して人類がやってきたことなど、鼻で笑うだろう。「バカな。余計なことをしやがって」――。愚かな人類の遺構は、彼らの叡智の住処となり、思い上がりの生き物の鎮魂歌すら唱えない平穏な年代期が、そう遠くない頃に、やってくるのだ。

琥珀色といえばウイスキー

 少々、カタい話になってしまった感が、無きにしもあらず。「人新世」と地質年代についての解説は、以上のとおりである。
 子どもの頃にむさぼり読んだ『化石入門』の本を久しぶりに開いて、「コハク」なるものを見れば、それが懐かしく感じられる。植物の樹脂で固まった「コハク」(琥珀)の化石は、実に不思議なものだ。

 琥珀色というところから想像して、大人たちは――いや、単に私個人だけだが――とてつもなくウイスキーへの愛着に駆られる。

 いったいなんという想像だ。そう、私はウイスキー党である。年を取ると、今となっては地質年代表を眺める楽しさよりも、ウイスキー発祥の時代区分を想像するほうがお気楽になれるようで、少年時代の“古生物学狂”ももはや、不真面目な大人の髑髏(されこうべ)と化して“シャレ”にもならない。ああ、アイルランドよ。スコットランドよ。
 いやいや、そうでもあるまい。「人新世」で唯一、地球に誇れる酩酊のレガシーといえば、酒ではないか。少子化で喘いでいる日本は、寡少の子どもたちに、ただちに酒の造り方を教え給え。それを義務教育とし給え…。
 寺山修司の、家出のすすめ的なジョークを飛ばしている場合ではない。そんな予断は許さない。人類亡き後のムシたちの世界で、あの「コハク」にとどめられた先人たちのイコンを崇め、なんとか琥珀色に染まる飲み物――それはつまり、ウイスキー又はバーボン――を広く継承していただけたら、と願う。なんのこっちゃ。

 酒を造ることは、人類でなくとも可能だ――。酒は人類が進化する以前に発酵していた。いや本当に。

コメント

タイトルとURLをコピーしました