人新世のパンツ論⑮―編集後記・レナウンのワンサカ娘
ヒッピー
寺山修司―三分三十秒の賭博とアスファルト・ジャングル
【寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』角川文庫】 今年に入って、寺山修司の文筆と映像の世界にどっぷりと浸かり始めた。この世界の、至る所から漂う臭気とは、いったい何か――。それは決して花の香りでも、柑橘系の香りでも、ない。乾いた土に雨が降り...
ぐだぐだと、寺山修司と新宿風月堂の話
【福島菊次郎の写真集より60年代の新宿風月堂】 新宿…シンジュク…Shinjuku――と、かの時代の新宿に思いを馳せてみる。1960年代から70年代にかけての新宿。その頃私はまだ生まれていなかったから、1980年代以前の新宿の空気を知らな...
司馬遼太郎の『ニューヨーク散歩』
【司馬遼太郎の街道をゆく39「ニューヨーク散歩」】 昨年中より、ざわざわと司馬遼太郎の本を読み返すようになった。圧倒的な熱量で彼の著書の歴史関連を漁り、幕末から明治維新以後の、近代の日本を読み解くのに夢中になっていた、私の20代半ばから後...
オトギのくにのオト―レヴォン・ヴィンセントの音楽的表現
❖「《地平》のサウンド」とはいったい何か? レヴォン・ヴィンセント(Levon Vincent)の音楽的表現は、誰しもが賛同できるハウス・ミュージックのcentrist(中道穏健派)に属しているかどうかはさておき、好みが分かれるところだが...
福島菊次郎がリブをとらえて
【福島菊次郎の写真集『リブとふうてん』】 何気なくチェストの引き出しを引いたら、古い本が出てきた。社会派カメラマン・福島菊次郎の写真集『戦後の若者たち Part II リブとふうてん』(三一書房・1981年初版)である。何故こんな本がここ...
ミュージカル『成れの果て』を観て
【『成れの果て』フライヤー】 去る3月21日、慶應義塾SFC(湘南藤沢キャンパス)のミュージカルサークルEM12代卒業公演『成れの果て』を観た。劇場は東京北区にある小劇場「シアター・バビロンの流れのほとりにて」。 脚本・演出:高野菜々子...
映画『ヘアー』のこと
【映画『ヘアー』ブルーレイ版】 幼心にも“センソウ”だとか“フンソウ”という言葉が、何か暗いどんよりとした嫌な言葉であることを、ベトナム戦争の(政治的にはパリ協定後の)時々刻々を伝えるテレビ報道のアナウンサーの口調から感受した、と言えるか...
歌は届かない
❖《歌》の「リアル」とはなにか? オーディオにおける世の“ハイレゾ・ブーム”に音楽は、そして《歌》はどうあるべきか。メディアにどうついてゆくべきか。最初はそんなことをテーマにして考えてみようと思った。しかし――。 やがてハイレゾのありがたさ...
歌と朗読とかもめのジョナサン
【リチャード・バック著『かもめのジョナサン【完成版】』】 かもめのジョナサン。長らく書棚の飾り物と化していたこの小説を手にすることにしたのは、その“完成版”が国内出版されると広告で知ったからで、1974年版と“完成版”との差異を散読した上...
イッピーの女
72年生まれの私にとって、“1970年”という年は未知なる憧憬度の濃い年である。 大阪万博のあった年――というのは幼い頃からだいぶ擦り込まれていて、高校時代の数学の先生からは、それとは裏腹に、“よど号ハイジャック事件”の話を何度も聞かされ...