再びバグる世界

 相変わらず私はメモ魔である。この話は、今年の初めの当ブログ「残されたメモ―バグる世界」でやった。日頃のスケジュールを記入する“紙の手帳”(実は以前より長らく「高橋の手帳」を使っていた)はとっくにやめた。
 “紙の手帳”はやめたが、“紙のノート”に手書きのメモは取る。書き始めると止まらない。今年用意した小型のノートは2冊分費やし、つい先日、新しいノートを買った。それとは別に、コクヨのいわゆる“大学ノート”を数冊、まとめ買いして用意してあったりする。とにかくよくメモを取るので、ノートは私にとって欠かせないものとなっている。

文房具のクリスマス・プレゼント

 小学生の頃、子どもたちが楽しむクリスマスのイベントで、みんなが円になって並び立ち、持ち寄ったプレゼント(おおむね可愛らしい包装紙にくるまっている)を音楽に合わせてぐるぐる回す。そうして子どもたちのプレゼントが、次々に手から手へと渡り移る…。曲が終わった時、手に持っていた品が自分へのクリスマス・プレゼント――。そんな温かみのあるクリスマスのイベントに、私は毎年参加していたのだった。
 あの回しっこで自分の手に落ちたプレゼントが、例えば、ファンシー文具系のノートとシャーペンと消しゴムのセット(これはたぶん、女の子が用意したプレゼントだろう)になった時、なんともいいようのない残念な、あるいはがっかりとした気持ちになったことがあった。

 それは私だけの感覚だったのだろうか。
 男の子が女の子の趣味の物品をプレゼントされた時の、えらく「存外な心持ち」というのは、昭和世代の子どもたち特有の、頑なな差別感覚――男尊女卑の表れ――だったに違いない。
 あの頃の男子の常識において、“文房具”のたぐいをプレゼントされたとしても、さほど心を躍らせる嬉しいものではなかった――という不文律はあったのだろう。今考えると、とてつもなく愚劣な話である。自分の心が卑しかったといわざるを得ない。
 現にいま、そうしたプレゼントで“文房具”がもらえたなら、私のメモ魔人生はいっそう花開くに違いない。何より欲しいのは、書き留めるもの。書き留められるもの。ペンでいい。ノートでいい。最も価値あるものとして、“紙のノート”は、偉大な自己革命家の必需品なのである。

ネット上のメモのこと

 話が少し脱線してしまったので、話題をインターネットやコンピューター上のメモのことに限らせてもらう。メモ、すなわちそれは、情報の断片もしくは好奇心に駆られた情報の結晶体のことだ。

 今年は特に、自分が使うスマホアプリ、あるいはウェブ周りのツールが激変し、変動的であった。メモ魔人生のための必携であったEvernoteは、今年、すんなりとアカウントを削除して、OneNoteに置き換えられた。――ところでみなさん、あまりご存知ないかもしれないが、Microsoftの「Microsoft 365」は、すこぶる快適で機能的なアプリ群なのです。何もビジネスツールとだけ括るヒツヨウはありません。情報のやり取りに最適で、AI機能も含め、コスパもスグれております。実に汎用性のあるツールでして、その秘密を知っている方だけ、存分にご利用下さい。青沼ペトロより――。
 さらに併せて、「Microsoft Edge」を利用してみると、これまた上々、検索能力が抜群で情報収集にきわめて役立つ。私は「Chrome」も頻繁に利用している質であるが、情報の検索能力に関していえば、「Microsoft Edge」の収集能力の方が、より人間的できめ細かく、ウェブの新しい発見の可能性が広がるかもしれないと思っている。
 ちなみに執筆や文書作成に関しては、今年に入って、「Microsoft 365」のWordを再び使うようになった。ワープロソフトで一時代を築いた「一太郎」をやめたことは、以前ふれた(「日本語と日本語入力のことなど」)。

【ネット上の福原愛さんの話題は、尽きるわけがないのです】

バグる世界の愛ちゃんと江宏傑氏

 さて、話の前置きが長くなった。こうした個人的なメモ魔の話をしたうえで、ネット上の情報でバグった話をしてみたい。

 今年の初めの「バグる世界」で、福原愛さんの昨年付のゴシップ記事(「週刊女性PRIME」)の画像(私が保存しておいたスクショ)を軽めに載せておいたことは、個人的にはもう懐かしい俗世の出来事のように思っている。
 しかし――だ。ロシアのウクライナ侵攻が続く中、中東ではイスラエル・ハマス戦争も勃発し、台湾有事もこの先発展しかねない。であるにもかかわらず、そうした今日においてでさえ、福原さんに関するトピックスは、相変わらず画像上の不機嫌な顔に相反して「尽きていない」――のも驚きを隠せない。世界の劇的な移り様に反し、福原愛&江宏傑さん関連のトピックスの鮮度は、いささかも落ちていないような気がした。つまり、世界を駆け巡る激動のパラダイムシフトと、日本人の禅的な感覚の時間軸とのギャップが、どうもありそうなのである。戦乱の世の中であっても、愛ちゃんの動向が気になる私の心のよろめきは、異常であろうか。

 はて、ここで大事なことを述べておく。
 エンタメ系業界のビジネスの要諦は、その話題に上がる人の名前やモノの名称なりが、「常に広く拡散し、行き渡ること」なのである。
 かつてのように親しみを込めて、“愛ちゃん”――とはもう誰も呼んでくれないだろうが、フクハラアイと聞けば、すぐにフリン、リコン、コウコウケツと思い浮かぶようになればいい。むしろ、フリン、リコンと聞いて、フクハラアイ、コウコウケツとすぐに名前が頭に浮かんでくるのであれば、メディアとしてはドンピシャだ。
 このように、名前と事柄の結びつきが普遍的なトレンドとなり、「忘れ去られないうちに何度も話題の種子を振りまかなければならない」メディア側の性癖あるいは習性は、それ自体がビジネス要諦であって、いわば、植物的な生存競争の必須項目なのである。その点において、愛ちゃんの名も、江宏傑さんの名も、まだまだ忘れられていない=さらに泥沼化していくドラマ仕立てになっているスキャンダルのトレンドとなっているのは、まさしくメディアが繁栄するエンタメ力の表れであり、視聴率や購買率競争のリトマス試験紙ともなっているのだ。

 今年の世相で戦争関連のトピックスを外すわけにはいかぬ――が、しかし今年、日本のメディアが大きく取り上げたのは、以前私がバグったザッカーバーグ氏のメタバースでもなく、国山ハセンさんでもなく、トヨタに移った富川悠太さんでもなかった。
 SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)である。
 この話題の本筋は、当初、疑惑から事実と認められたジャニー喜多川氏の「性加害問題」であったが、昨今においては事務所に所属するタレントさんたちの去就問題の方がクローズアップされ、連日多数のゴシップ記事で賑わしている。このトピックスに関しては、私はもうバグりっぱなしだ。

自らのカウントダウンのその先は?

 結論を先に述べると、もう何がなんだかわからなくなってきた感じで、被害者の救済にかかわる論点はほぼ寡少になりつつある。

 そこで、活動を休止している嵐のメンバーである櫻井翔さんのトピック――。「news zero」のキャスター去就問題。
 これにおいては、その事実関係が二転して、私は辟易した。
 来年3月にキャスターを卒業するかのようなニュースが流れたと思いきや、先月23日、日テレの定例社長会見(社長は石澤顕氏)で、一部の報道で櫻井が「卒業」するとされたが「そのような事実はない」と否定。曰く、月曜担当のキャスターを継続する――云々を発表し、「卒業」を火消しした形となった(10月23日付スポニチアネックス)。
 嵐の櫻井氏やNEWSの小山慶一郎氏の報道番組のキャスター起用に関し、日テレの報道幹部は「忖度だと思う」と述べ、それについての石澤社長の見解が、また奇妙な言い回しになっていてきわどい。

そういう考え方を叱り、さらに煮詰めて見極めながら、視聴者から信頼される番組作りに邁進するということになる。ジャニーズ事務所自体がどんどん変化をしてる中で、昔、ちょっと前のものさしですべてを語るのはまた状況が変わってくるんじゃないかという気がする。

10月23日付スポニチアネックス「日テレ 櫻井翔『news zero』キャスター続投へ “”卒業」報道に『そのような事実はない』」より引用

 だがこれもまた、うかうかしているうちに情報が錯綜し、事実が二転から三転しないでもない気配だ。
 『週刊文春』10月26日号(発売日は10月19日)の記事「田原俊彦のマネジャーが性被害初告白」の小見出しには、「『まだ決められない』櫻井翔が再契約を渋る訳」というふうになっていて、櫻井氏の去就問題の事情についてふれられていた。ジュリー氏最側近の嵐はすぐに契約を結ぶと見られていたが、櫻井氏は「まだ決められない」と契約を渋っている――とある。
 この内容を裏付けするかのように、嵐のメンバーの二宮和也氏がごく最近、「事務所を独立する」旨を公表(2023年10月26日付朝日新聞朝刊)。だとすると、櫻井氏も「独立」する可能性があるだろうし、それによってキャスターの去就問題はさらに違った局面を見せるかもしれない。

二宮フィーバー

 二宮氏の「独立」に関する報道――。

現在活動休止中の嵐については脱退せず、活動を再開する場合は参加する。

2023年10月26日付朝日新聞朝刊より引用

 この記事において、事務所の回答では、《本人とも対話を維持し、双方で合意が取れた場合は改めて契約を結ばせていただく可能性もございます》とある。
 これは、嵐再開の予兆(想定内の企図)なのか、それとも事務所側の漠然とした期待感に基づいて、二宮氏の個人の仕事の契約を今後結ぶ可能性を単に盲目的に言及しているだけなのか、いずれにしても曖昧だ。
 むしろ単純に、現時点ではこれ以上の話し合いは持てなかった、曖昧模糊ランドです――といいたかったのかもしれない。嵐再開の決定権は、リーダーの大野智氏いかんで決まる、ような報道もあって、確定できる話は何一つない。

 二宮氏の場合、個人の仕事に関しては「独立」して行い、嵐のメンバーとしての活動に関しては、依然として事務所内に依存した形で契約――というのは、実際的にありえるのだろうか。
 ジャニー喜多川氏の「性加害問題」をきっかけに、二宮氏自身の仕事の契約(将来的なものを含め)が半ば頓挫し、芸能活動の基盤が危ぶまれる状況下で、問題を抱えたままのSMILE-UP.と綱渡りしていく姿勢というのは、どうもいただけない。私個人としては、そんな不埒な――と思う。

 これは、SMILE-UP.の様々な問題全般にいえることなのだが、タレント個人が事務所を「退所」したのか、あるいは「退所」ではないがあくまで「独立」したマネージメント業をおこなうという選択肢もあるのか、いわば建前の中にもう一つ別の、いやさらにその中には別の建前が次々と潜んでいるマトリョーシカ的入れ子構造になっていて、個々において離れたのかくっついたままなのか、はっきりとしない。全くもってミステリー小説である。滝沢秀明さんのところも実際、真にきっぱりとSMILE-UP.と無関係だと、いえるのですか? と私は本人に直接聞いてみたいのだ。

【東山紀之さんの衝撃的なニュースもメモる】

メディアというウィザード

 ここにきて、空中分解している事務所との距離感を明確に打ち出せないタレント側の苦悩という解釈もできる。したたかな世渡りがヘタな人たちだ。
 しかし、「性加害問題」の被害者の救済を全面的に解決していく道筋が、今のところまだ明確には見えない中で、事務所に少なからず依存する芸能活動のあり方は、どう考えても「望ましい将来」とは思えない。

 プロのタレントであるなら、本当の意味で一本立ちし、この逆境の立場から新たな活動の方向性を打ち出した方がいいのではないか。たとえ裸一貫からのスタートになっても――というのが、私の個人的な感想である。
 過去の恩義は恩義である。しかし、それに縛られていたのでは、一流のタレントにはなれない、と思う。それ以上に、問題の事務所とメディアがつるんでいる、あるいはメディア側がなし崩し的にSMILE-UP.に最接近している――という一部の報道からして、ますますその混迷の度合いは深まり、関係性は酷くなる一方だ。まさに芸能界は魔窟だといえよう。
 一般としては、ジャニタレのファンを辞めていく若者が増えているという話もチラチラと聞く。被害者の救済がいっこうに滞ったままなのは何故なのか。そうした疑問なり不安の声が、果たしてタレントたちに届いているのか上の空なのか、道義的責任に及ぶ話には、興味が無いようだ。それがかえってジャニタレの存在感を急速に弱めてしまっている。

【X(旧ツイッター)のアカウントも取得。Facebookも復帰】

新時代のSNSで情報は花開く

 話を少し、各論に持ち寄りすぎた。
 色々な意味において、内外問わず、苦しい時代になってきた感が強い。一言でいって、切迫感が凄まじい。
 たかが芸能ネタのスキャンダルに関するメモの話なのだけれど、それに限らず、掴んだ情報は、しっかり自分で記録(保存)しておく必要がある。情報は、必ずしも価値を共有できるものではなく、時間とともに不確かなものとなってしまう。ウェブ上のニュースのたぐいは、ソース元のサイトであっても、一定の期間が過ぎると消されていくので、情報の信憑性を担保しづらくなってしまう。

 SNSからの情報収集も、1つか2つのSNSだけでは、フェイクかどうかの確認が取りづらい。
 したがって私は、ついこの前、再び決断した。
 今年いったんX(旧ツイッター)のアカウントを削除し、完全撤退したものの、9月末に已むを得ず新アカウントを取得した。ただし、このアカウントは暫定的なもので、いま新たなSNSとしてWhispyというのが始まるらしい。そちらの動向を見据えた末、情報収集のために安定的なSNSを複数プラットフォームとするつもりである。

 尚、全くの私的な連絡手段として、今年の秋、Facebookも復活させた。
 これらは結果的に、当初の決断の大転換という形になる。したがって個人的には、ネット上のプラットフォームの体勢はきわめて流動的になってしまった。今のところ、マストドンを主力としている点は変わりない。

 世の中の変化に追いつかんとする自分が疎ましい。何やら必要悪のような気もするが、意外と新しいつながりも開拓できたりして、あながち無駄ではない気もする。
 私のバグる世界も、なんの利益にもならないネタばかりの追従であったとしても、なにか一つ、未来につながる鍵を発見できる可能性を秘めている。それだけに、ネット社会の住人を閉じるわけにはいかないのだ。
 こうして今、何かしら発信できることは、幸福なことなのだと思う。

追記:マストドンのアカウントは2024年2月21日付で削除いたしました。
追記:Xのアカウントは2024年3月9日付で削除いたしました。

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