※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年2月24日付「馬が歩く頃」より)。
地元の「純喫茶・田園」の写真を探すべく、市の史料を漁っている最中、母校の中学校の、これまた創立ウン十周年記念誌なるものを散見。懐かしさに浸りながらも、時空の隔たりについてしばし黙考してしまいました。
というのも、ここに載っていた写真というか建物の有り様が、あまりにも古臭いということに驚きを隠せませんでした。
【母校の中学校の航空写真】 |
上の写真。
これは戦時中の軍需工場ではありません。学校です。私の母校の市立中学校です。鉄筋木造トタン板の校舎が渡り廊下を通じて3棟連結されていて、生徒数の多いいわゆる“マンモス校”でした。
私自身は昭和60年(1985年)の春に入学し、昭和63年(1988年)3月に卒業しましたが、中学2年の時に鉄筋の新しい校舎が出来て、全校生徒が引っ越ししました。それまではこの木造の古い校舎を使っていたのです。
1棟で1学年使うので、北側の一番寒くてジメジメした棟が1年生用、2年生は中央の棟、3年生は南側の棟を使っていました。
私が1年生の頃、渡り廊下を通って南側の棟に行くのは非常に緊張しました。何故ってそこには3年生の先輩たちがいる所だから。むやみやたらと出入りできない感じの、異様な雰囲気がありました(個人的な主観ですが)。
屋内の廊下は木造板だったので、雑巾で乾拭きするとピカピカに光りました。木造のなんとも言えない臭気は今でもよく覚えています。
しかしそれにしても、やはり昭和の古い時代の写真のように見えてしまうのですが、80年代後半まで現存して、実際に使っていたのですから、いかに田舎の古い町の話かということがわかるでしょう。
ちなみに、私が2歳か3歳の頃までは、地元の駅構内では運搬手段として“馬”を使っていました。昭和50年以前の頃です。その頃は「町に馬が歩いていた」のです。母に連れられて駅近くのスーパーに買い物へ行く途中、荷物を運ぶ馬を何度か目撃しています(笑)。
昭和50年代の商店街は活気と熱気がありましたが、今は人も物もだいぶ様変わりしました。もはや自分が「古い時代に生まれた世代」の仲間入りをしたことを自覚しなければならないのですね。
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