「危機管理」という問題

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年5月19日付「『危機管理』という問題」より)。

 先日、自動車の免許更新のため“5年ぶり”に警察署に赴きました。
 日頃まったく接点のない(というよりあまりお世話になりたくない)署内で少しばかり緊張しながら更新手続きを済ませ、その後30分の講習のため、別棟へ。朝一の講習は私以外5人ほどしかいませんでした。
 そこでおよそ20分間、交通安全に関するビデオを視聴しました。
 そのビデオの内容を要約すると、自動車を運転するにあたって、至る場所に「見えない危険」と「見える危険」とがあるのだと。そしてそれぞれの危険に対し、“ああ大丈夫だ”と楽観せず、“その先何か危険があるのではないか”と「予測する」ことが重要、と語っていました。
 確かに、(たまたまかも知れませんが)私がこれまで無事故で来られたのは、例えば信号機のない小さな交差点や細い路地などで飛び出してくる自動車や自転車、人がいるのではないかと直前に「予測する」、というかそういうイメージが湧くため、実際にそういう状態になってもなんとか冷静に回避できていたのではないか、とも思います。
 3.11の東日本大震災以来、今も様々な形で各地、実際的な地震による影響や災害が継続しています。地震は一過性のもので、それが済めば普段の、それ以前の生活に戻れるというのが、私の3.11前の身体的な乏しい経験則でした。しかし3.11は想像を遙かに超え、自己に身体的精神的ストレスを与えたのかも知れません。少なくとも精神的には、あれ以前の自己に戻ったという感覚はまったくありません。
 今、国家も自治体も企業も、そして個人(老若男女問わず)も、「危機管理」の能力が確実に試されているのではないか――。
 結論を先に述べれば、そうした起こりうる危機に対して、きちんと道筋を立て対処できるか、という問題であり、ある意味危機に対してタフにならなければならないのです。
 『文藝春秋』の6月特別号の中に、田中辰巳氏(危機管理コンサルタント)の論考「日本政府 震災危機管理もレベル7」がありました。非常にわかりやすく参考になり、正しい危機管理の手法が細かく述べられていたので、私はメモを取り自分自身のノートとしました。
 東日本大震災について、「国民が必要とする情報」は多岐にわたるとして、以下のような項目が列記され極めて重要だと感じたので敢えてここで引用させていただきます。
《1.被災者応急措置(人命救助、公私避難所の支援、被災法人の支援、など)の現状と今後
2.ライフライン(上水道・下水道・電気、ガスなど)の現状と復旧および代替品の供給
3.インフラ(鉄道、港湾、道路、空港、通信など)の現状と復旧
4.福島第一原発の現状と修復および周辺地域への影響と措置。同時に、他の原発や火力発電所の現状と修復も
5.燃料(ガソリン、灯油など)の現状と今後
6.支援物資配給の現状と今後(道路の渋滞情報と同様に目で見て分かる表示が必要)
7.医療支援(医師・看護師、医療容器、薬品、重病・重症患者の転院先など)の現状と今後
8.被災地の経済・雇用対策。金融支援と復興事業の概要
9.被災者への住居(避難所への移転、県外転居、仮設住宅)の支援
10.被災地の防犯対策。特に警察と自警団の連携が大切》
 田中氏がこの論考の中で、なにげに使われていた言葉「深慮遠謀」に私は注視したいと考えます。まさに今、深慮遠謀が必要なのは、福島第一原発事故による放射能汚染の問題。この恐るべき「見えない危険」に対し、その今後を「予測する」力を、術を、情報を、私は持ちたいと切に思うのです。

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