※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年8月7日付「原爆ドーム」より)。
【原爆ドーム(旧産業奨励館)】 |
昨日は、原爆投下から66年目を迎えた8.6ヒロシマ原爆の日。
奇しくも――というより自ずと必然的に起こってしまった福島原発事故を鑑み、広島平和記念式典で述べた菅首相の言葉は、「原発に依存しない社会を目指」す、という内容でした。
私個人が毎年感じていたのは、広島と長崎両都市の平和への祈りと、日本政府の平和国家観(平和主義解釈)との大きなずれについてでした。今年は異例中の異例とも思える首相の脱原発宣言によって、この大きなずれが少し縮まったようにも思えます。
しかしながらその言葉が、表明が、日本政府としての具体的な政治的政策の中に、どう盛り込まれていくのか、あるいはそれに反応して、国民の総体的な世論が本当に「脱原発」の方向に集約されていくのかどうか、まだまだ不透明であるし、長く険しい道のりを感じます。
2年前の9月、広島を訪れて、雨の中、原爆ドームの前に立ちました。
何故此処に原爆ドームが在るのか。
それは被爆した、かつての産業奨励館の建物自らの意志によってそこに在るのではない、市民の、日本国民の、総意に基づいた平和への祈りと希求が、それを遺したのだということを、忘れてはならないのです。
原発が日本中にある限り、同じ過ちを繰り返す可能性がある。また同じ放射能の被曝と汚染を繰り返す可能性がある…。
何故此処に原爆ドームがあるのか。
何故此処に原爆ドームがあるのか。
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