※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年9月19日付「敬老の日のこと」より)。
人それぞれの人生があるだけ…と言ってしまえば身も蓋もない、それだけで終わってしまうような思い出話かも知れません。
私が小学校を卒業したのは1985年3月ですが、その最後のクラスであった小学6年の仲間達について、私は確かにあの時――つまり卒業式の日――この仲間達と別れるのは本当に辛い、またどこかで一緒になりたい…と心の底から思ったことを憶えています。
やがていつか、同窓会があるだろう。
という純粋な期待。それはきっと喜ばしい出逢い(再会)になるだろう。という希望。
しかしあれから26年が経ち、まだ一度も開かれていない「小学6年の同窓会」という言葉だけの記念碑が、重く切なく、容赦ない現実の中の《変容》に押し潰され、あの時あんなふうに思った私自身でさえ、もはやこの先も「小学6年の同窓会」は絶対あり得ぬ、と心が転向してしまいました。
さて、敬老の日。
小学6年生の時、私は学校の「音楽クラブ」に所属していました。楽器を演奏したり、合唱をしたり。少人数だったので学年やクラスは関係なく、和気藹々とした雰囲気でした。
顧問の先生の提案(というより市の福祉事業の一環)で、敬老の日は町の福祉センターを訪れて、お年寄りの方々に合唱を聴いてもらおうということになり、何週間かかけて「ママのそばで」などの曲を練習したのです。あまり練習する期間がないということで、ほとんどユニゾンだったかも知れません。
音楽クラブのメンバーの写真は、卒業アルバムの中に1カットのみありました。敬老の日に福祉センターに出掛けたのは、私を含めて数名だけ。他の小学校からもそれぞれ出し物を用意して参加しており、センター内にある間口5メートルほどのちっぽけなステージの裏で出番待ちし、我が音楽クラブの順番が巡ってくると、途端に緊張してすっかり落ち着かなくなったのですが、お年寄りの方々の拍手に包まれながらステージに立ち、用意していた数曲をただただ歌ったに過ぎません。
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