1982年、小学4年生だった私が、ピアノを弾く少女に淡い恋心を抱く話は既に書いた(「赤毛のアンと少女の話」参照)。実は私が歌心に目覚めたのも、ちょうどその頃のことで、その恋と歌との関係は一蓮托生なものであった。
音楽の授業が始まるや否や、先生がその少女に、
「ピアノを弾いてごらん」
と言って、彼女がベートーヴェンを弾く。
それはまだ学校の校庭に木蓮の花が咲いている頃であろうか。それとも3階の音楽室の窓から澄みきった富士の山が見える頃であろうか。児童用のオルガンの匂いが強烈な、真紅の防音壁が印象深いその広い音楽室に彼女の音が響き渡る。
それから、先生は私に向かって、「あれを歌ってくれないか」というので、私は前に一度独唱したことのある「約束」を、皆の前で歌った。「約束」は、その当時、俳優の渡辺徹さんが歌った大ヒットシングルであり、先生は渡辺徹さんが通った高校の担任先生でもあったのだ。私は先生の喜ぶ顔が見たくて、それを歌った――。
やがて、その少女が転校してしまうと知った時、私はひどくショックを受けた。なんとか彼女が去る前に自分の気持ちを伝えようと、何をすべきかを考えた。――そうだ、彼女のために歌を歌おうと。
ちょうどその頃ヒットしていた柏原芳恵さんの「春なのに」が相応しいと私は思った。「春なのに」は、10代の若者が経験する失恋の歌である。私は必死にその曲を練習した。今度は先生のために歌うのではない、自分の好きな、別れゆくあの少女のために歌うのだという気持ちは、熱い本能のようなものとなって昇華していった。
だが問題は、いつそれを歌うのだ、ということだった。
すっかり頭の中が硬直していた私は、先生がまた「歌ってくれないか」と言ってくれるのをひたすら待ち続けた。そのチャンスが訪れるのは、例の如く音楽の授業の冒頭であろうから、常にその曲が歌えるよう万全の態勢でいた。しかしチャンスはなかなか訪れない。
「春なのに」の、イントロのストリングスが授業中ずっと頭の中で鳴り響いていた。もういつでも構わない、今でもいい。先生が自分の肩を叩いて、教壇に立つよう指示してくれればいいのだ。私はそこで緩やかに「春なのに」を歌い出す。目を瞑り、少女の顔を思い浮かべる。そしてサビの部分で席に座っている少女に視線を注ぐ。そうして私の中の「春なのに」は完成する。すべてが終わる。この一幕を、私は演じてみたかった――。
まだ桜の花を見ない頃、少女は遠い町へ去って行った。私はとうとう歌うことができなかった。
もしかすると、もし仮にそれが実現していたら、少女の目の前でそれを歌ってしまっていたら、もうその時で歌うのをやめていたかもしれない。歌に対する思いが途切れてしまったかも知れない。陳腐な話では、あるが。
まだ私は花を見ない。芽吹かんとする花たちの、幼少の姿を見ているに過ぎないのだ。歌はそれほど、大きい。
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