【エリック・シューマン『プロコフィエフ―ヴァイオリン・ソナタ』】 |
先日亡くなられた高倉健さんが主演した映画『八甲田山』の音楽を担当した、芥川也寸志氏の名著『音楽の基礎』(岩波新書)をパラパラとめくっているうちにふと思った。私が卒業した千代田工科芸術専門学校の複数の校舎のうちの一つの、その最上階に図書室が存在したが、おそらくその書棚には、この『音楽の基礎』が確実に据え置かれていたに違いない、だけれども私は当時、あの2年間のうちに一度も、図書室で何も本を読んでいなかったのだ、と。
そもそも私が在学中に音楽理論(授業では音楽通論)を教わった河辺浩市先生の、その師も、芥川也寸志氏の師と同じ旧東京音楽学校の橋本國彦氏であり、『音楽の基礎』は私にとって同じ源流なのだということを意識する。しかし音楽とは、まったく《怪物》のようなもので、今以て――いやおそらく生涯において私はこの《怪物》を制することはできないであろう。
奇しくもこの名著『音楽の基礎』が刊行された同じ1971年、芥川也寸志氏が傾倒するロシアの偉大なる作曲家ストラヴィンスキーが亡くなっている。“親ソ連派”として知られる芥川氏の心中を察すれば、その同時期の刊行は何らかの意があったとしか思えないのだが、私の穿った見解であろうか。
同じロシアの作曲家であるセルゲイ・プロコフィエフは生前、これまた偉大なるロシアの映画監督エイゼンシュテインの作品の音楽を担当しているが、そうした商業音楽的脈略を受け取って、芥川氏も国内の映画作品の商業音楽において、多大なる功績を残していることは、“親ソ連派”の裏付けを成す重要な手がかりであると思う。
ここから話は大きく迂回する。
セルゲイ・プロコフィエフで思い出し、ケルン出身であるエリック・シューマンの、ヴァイオリンが聴きたくなった(当ブログ「うとうととエリック・シューマン」参照)。
今月末、彼が率いるクァルテットの演奏会(ハイドンやらベートーヴェンをやるらしい)がある。が、どうにもこうにもスケジュールが合わず、観ることができない。断腸の思いというのはこのことで、非常に残念である。したがって、今のところ彼の唯一のCDアルバムである1枚から、プロコフィエフの曲をしつこく聴いたりして、その悶絶しうる残念無念を連日、晴らさんとしている。
今まで個人的には注目していなかった「三つのオレンジへの恋」が面白い。
アルバムに収録されていたのは、同曲の組曲のうちの第3曲・行進曲で、ヘンリ・ジークフリードソンのピアノに掛かるエリックの小刻みなるヴァイオリンの“悲鳴”が愉快。〈なんたる曲!〉と感嘆したくなるほどドラマティックな展開で終結も突飛。いっぺんにこの曲が好きになってしまった。それにしても、エリック・シューマンのヴァイオリンの技巧とそれ以外の部分における表現力は、まるでヴァイオリンが生きた魂のように感じられる。
プロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」の原作を書いた、イタリアの劇作家カルロ・ゴッツィは「トゥーランドット」で有名だが、「三つのオレンジへの恋」の寓話自体も、実に素晴らしい。是非この作品のオペラやバレエを観てみたいものだ。
私が所有しているその他のCD(ロリン・マゼール指揮フランス国立管弦楽団によるホルストの「惑星」)の中に、「三つのオレンジへの恋」の組曲が収録されていたことに気づかずにいて、慌ててこれを今後聴こうと思っている。
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