【私の好きなウイスキー「白州」】 |
暑さが幾分緩くなった夏の夜、微かに湿った肌の汗を拭き取り、夏の陰りを感じながら、私はシングルモルトウイスキー「白州」を口に含んだ。しばらくぶりの「白州」だった。
一瞬、瑞々しい森の香りがして喉を通り過ぎた。耳をそばだてれば、どこからかツクツクボウシがほどよい音量で鳴いている。静かに夏の終わりを迎えている。
「白州」のグリーンのボトル。そして大地と森を想わせる独特の風味は、いわゆるゴツゴツとしたウイスキー特有の口当たりに伴って、爽やかな気分を漂わせてくれる。腹の奥にシュッと液体が落ちていく際の何とも言いようのない快感。今度は胸から頭部にかけて駆け上がる風の如し、樽につけ込まれ甘く熟成された豊潤な液体が身体を熱く燃え上がらせ、ウイスキーならではの醍醐味を味わう悦楽。私は好んでこの酒を飲んできた。
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8年前、私は自主制作の短篇映像作品の撮影のため、八ヶ岳の麓を訪れた。その物語はこうである。
《15年前、英国のとあるオークション会場で入手した“幻のフィルム”=「ディープフォレスト」は、すぐに盗難に遭った。そのフィルムを忘れることができない主人公の男は、残されたフィルムの切れ端を形見に、毎年のように深い森の“隠れ家”にやってくる。そしてそこで、“幻のフィルム”の女性と再会を果たす…》
主人公の男が酒を飲むシーンで、“グリーン・ボトル”を片手に、そしてグラスを片手にするはずであった。けれどもその“グリーン・ボトル”を調達することができず、仕方なしにシビルオレンジジガーとエメラルド・グリーンのグラスで代用することになった。
この物語は酒に酩酊する主人公が、フィルムの切れ端に刻まれた女の幻影に惑溺し、夢か現か分からぬ世界に迷い込み、女との深い交わりを映像化したもので、その“グリーン・ボトル”というプロップの設定演出から窺えるのは、主人公が酩酊する酒は明らかに「白州」なのだ、ということであった。
この「ディープフォレスト」の物語の音楽モチーフは、ドビュッシーの1904年の作品「映像第1集『水の反映』」(「Reflets dans l’eau」)である。
あの曲を聴いたことがある人は、なんとなくこの「ディープフォレスト」の全体のイメージを掴むことができると思う。そしてまた、「白州」のシングルモルトウイスキーの味わい深さについても、もしそれを音楽で表現するならば、「水の反映」は恰好の印象となろう。
何故これほどまでに、この2つが結び付いてしまったのか、不思議な連関ではある。
八ヶ岳から川を隔てた駒ヶ岳の麓が、白州の蒸留所である。釜無川に尾白川の支流が流れ込んで、その清らかな水が美味い酒を造る。仕込み、発酵、蒸溜、貯蔵。
いつからか私は、「白州」を飲むたびにドビュッシーの「水の反映」を想起させる。あのウイスキーとこの曲とがどことなく(イメージの)等価であることを、私は疑わない。
しかし、その等価というのも、当然ながら主観が伴う。
楽譜上の「水の反映」に表記された速度記号は“Andantino molto”とあって、非常に歩くような速さで、ということになる。付随してTempo rubatoである。とっても歩くような速さを保ちつつ、旋律に抑揚をつけて遅めたり速めたりせよ、ということになろうか。ともかくそういう速度でなければ、この曲の印象は薄まってしまう。
楽譜上の速度記号を必ずしも遵守する必要はないと思われるが、この曲に関して私は、純粋に「ゆったりとした歩くような速さ」で演奏されたものを好む。特に「ディープフォレスト」のモチーフとしては、完全無欠にそうでなければならなかった(実際、モニク・アース演奏の「水の反映」が選択された)。
著名なピアニストの歴史的な演奏を聴き比べて、「水の反映」がこれほどまでに印象が変わるか、ということを思い知った。
古今東西の演奏家のうち、モニク・アースのそれが十分ゆったりとした速度であったから、5分21秒という尺を引き出した。この尺の長さは芸術的に美しい。私の印象では、これくらい長いTempo rubatoによる抑揚こそが、「水の反映」のイメージをそこはかとなく無限感に誘発させると感じた。
【グラモフォンの名盤。ミケランジェリの「映像第1集」収録】 |
一方で、速度が速すぎてイメージを壊しているのではないかと思う演奏もある。安川加寿子演奏の「水の反映」は4分28秒で、非常に速くて短い。この「速くて短い」ということをどう解釈すればよいのか。
速度記号に準じたとするならば、この人は日頃歩く速度がよほど小走り気味だったのではないかと思うほど、Tempo rubatoの箇所がせせこましくて落ち着かない。和音の響きが何ものかを想起させる間もないまま、次の和音となって無限感を感受させてくれない。ドビュッシーというよりリストかショパンである。水の反映というより、水のダンスである。
ちなみに、フィリップ・アントルモン(Philippe Entremont)の演奏が5分7秒、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(Arturo Benedetti Michelangeli)が4分53秒であるが、モニク・アースの女性らしい柔らかさに対してミケランジェリは力強くゆったりとしていて、これも素晴らしい名演奏である。
――私は「白州」を好んで飲む。ドビュッシーの「水の反映」が頭の中で鳴り始める…。この外連味のない行動と印象の連鎖は、酒を飲むのも音楽を聴くのにも充足した至福を意味する。気障な言い方をすれば、芸術の極みである。そして単にそれらを楽しんでいるのではない。森のように深い想いが私の心に染み入って、その想いから容易に逃れられないのだ。
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