【静岡県掛川市の大庭さんの写真。昭和49年撮影】 |
いま、私自身の個人的な創作活動の中で、モチーフの一つとして、“オカルト”的な要素を必要とした経緯があり、その方面の文献資料をむさぼり読んでいる。そもそも“オカルト”(occult)とはどういう意味だろうか。辞書を引くと、こうある。《神秘的・超自然的な現象。念力・テレパシー・心霊術など》(『明鏡国語辞典』第二版)。わかりやすい言葉で簡潔に述べれば、「超常現象」のことである。
さらに付け加えて書いておくと、私が主に調べているのは、ヨーロッパの古代ケルト人のことだったりする。ケルト人の一派(Gallia)のその社会的体制においては、ドルイド(Druid)という知識層の特権階級があり、その祭司と、ウァテス(Wotes)というその下位集団にあたる自然科学・天文学をもとにした占い師の政治的関係から、現代にまで知られているような“オカルト”――神秘主義や「超常現象」――の皮相の因果は、この古代ケルトに遡ると仮説を立ててみることができ、たいへん関心の度合いが熱を帯びてきて面白いのである。
そうした史学的な背景を踏まえたうえで、「超常現象」の一つであろう心霊現象、そのうちの顕著な肉眼的表象ともなる媒体=心霊写真というものに今一度、関心を寄せてみようと思う。敢えて先に申し上げるとするならば、「超常現象」の媒体というものは、常に政治的な様相をはらんでいる――ということだ。
§
【中岡俊哉編著『続 恐怖の心霊写真集』(二見書房・サラブレッド・ブックス)】 |
こうした「超常現象」(一般的には“怪奇現象”という言い方もできる)の研究の分野における戦後日本で、能動的な活動を促し、かつメディアに度々出没して一世を風靡した方々が幾人かおられることは、承知の通りである。中でも特に有名なのは、心霊現象や超能力研究家として知られる中岡俊哉先生である。テレビで拝見してきた中岡先生の、黒縁の眼鏡はたいへん印象的だ。中岡先生は、あらゆるメディアを通じ、一般の視聴者などから送られてくる、心霊現象をとらえた写真=心霊写真の鑑定を続けてきた。かつて、テレビや雑誌などで、そうした心霊写真の“鑑定モノ”の特集番組や記事が度々組まれ、人気を博したわけである。
私の少年時代の愛読書であった中岡先生の代表的な出版本『続 恐怖の心霊写真集』(二見書房・サラブレッド・ブックス、昭和50年初版)では、その表紙に掲げられた文言が、ひどくおどろおどろしく、恐怖感を煽り立てていたのが懐かしい。
《霊体はどこに写っている?
全国から寄せられた不思議な
写真を 心霊科学の権威が、いま
鑑定・分析・解説するなかで
四次元世界の謎に敢然と挑戦する!》
(中岡俊哉編著『続 恐怖の心霊写真集』表紙より引用)
心霊写真に関するトピックは、当ブログでも度々紹介してきている。ちなみに、中岡先生の著書“恐怖の心霊写真集”シリーズで過去に紹介したものについては、4年前の当ブログ「心霊写真のときめき」を参照していただきたい。
今回紹介する、『続 恐怖の心霊写真集』の本に掲載されていた、以下の数点の心霊写真(厳密に言うと、霊体が写っていると思わしき写真)は、私が小学生の時に初めて見、すこぶる怖くて震え上がった写真である。あらためて眺めてみると、心霊写真というものには、心霊(と思わしきもの)の現出のいくつかの類型がある、というのが分かってくる――。
§
【中岡先生による、大庭さんの写真の解説・鑑定】 |
まず1枚目は、静岡県掛川市の大庭さんの写真。中岡先生のところに鑑定依頼の旨、送付された写真である。大庭さんが送った同封の手紙には、写したのは昭和49年6月8日、場所は常葉が池近く――と記されていたようで、その池では昔、数人が死んでいるとのこと。
中岡先生の鑑定によれば、写真中央上あたりの、草むらのところに霊体が写っているようで、男性の顔だそうである。《男性は、苦しそうな表情で、斜め上を向いている。この霊体は、おそらく池で死んだ人のものであろう》。この場合、草むらの一つ一つの、草のディテールそのものが、なぜか霊体を形成している、あるいは霊体と見事に重なり合っている――ということになるのだろうが、本来、別の人工的な物、あるいは自然物の形状や状態のディテールが、偶然の一致か何なのか、それ自体が霊体的なものに見える(=霊である)という心霊写真の類型の、典型的な例の一つである。そしてこの場合の霊体は、大抵、穏やかで柔らかな表情をしているのではなく、恐ろしく、薄気味悪い表情であったりする。
【大分県中津市の森田君が依頼した写真】 |
2枚目は、大分県中津市の森田君という、当時中学2年生だった男の子が中岡先生に送った写真。森田君の、鑑定依頼の手紙を引用しておく。
《僕はまだ中学二年ですが、一年ほど前から心霊科学に興味を持ち、知識も一応あるつもりです。先日、なんの気なしに写真を見ていたら、同封の写真が出てきました。写した年月日ははっきりしませんが、けっしてインチキなどではありません。写真は中津から出ている耶馬溪線を写したものです。場所は中津駅から八幡前の間の沖台平野を線路上から中津駅の方向に写したものです。ぜひ、この写真を鑑定して下さい》
(中岡俊哉編著『続 恐怖の心霊写真集』より引用)
昔はこうして、堂々と線路の上に立って、写真を自由に撮ることができたのかしらん――と、まず深い感慨を覚える。それはともかく、撮影者はなにゆえに、この場所で何ものかを、撮ろうとしたのであろうか。
線路沿いの外側に等間隔で立ち並ぶひ弱な電信柱が、この写真の物悲しい雰囲気を表している。右の端には小さな家屋が目視できる。が、人は一人も写っていない。そう、この風景には、人がどこにもいないのだ。何故撮影者はそんな風景を撮ったか、ということがまず謎である。あるいは端的に、霊感の強い人で、何かがそこに在ると感じたのだろうか。
この写真を最初に見た者が誰しも感じるであろう、不思議な感覚。すなわち、ちっぽけな“視線”の鋭さ――に戸惑いを覚えるはずである。それは、誰かが私をじっと見ているような、鈍い光を切り裂かれたような感覚というべきもの――。ずばり中岡先生は、その奇妙な“視線”の正体を、言い当てている。《線路わき電柱のすぐそばに少女の立ち姿を発見》できたであろうかと――。
【森田君の写真の解説・鑑定】 |
その霊体は茫然と立ち尽くしている。しかもこちらを見ている…。私はむしろ、少女というより少年に見えてしまったのだけれど、中岡先生の鑑定では、この霊体は列車にはねられて死んだ、あるいは自殺者の霊だろうという。
ところで調べてみると、この中津市にあった大分交通・耶馬溪線は、なんと昭和50年に廃線になっている。森田君の手紙に書かれていた、中津駅から八幡前の間の沖台平野のあたりというと、いま現在、ちょうど廃線跡と見事に重なる県道675号線(臼木沖代線)沿いであり、造成された街や宅地などの影響で、あのような風景の面影は、ほとんど見ることはできないのではないかと思われる。
写真当時の茫々たる田園地帯が広がっていた懐かしい風景の記憶は、写真提供者の森田君いや森田さんの脳裏に残っているであろうか。もしかすると撮影者も同様にして、やがて廃線となる線路を、写真という形で記録に留めようとしたのであろうか。だとすれば、この写真の中に、人が一人も写っていないことも合点がいく。偶然ながらそこに、列車にはねられて死んだと思われる霊体が、映り込んでしまったけれども――。
余計な詮索ではあるが、森田さんは今、もう還暦を迎える頃と思われる。中岡先生に写真を送った10代の想い出を、いまも忘れてはいないはず、と私は信じている。
【東京・東村山市の上村さんが依頼した写真】 |
さて、3枚目の写真は、東京都東村山市の上村さんが鑑定依頼で送った写真。
《同封の写真はいずれも昨年(昭和四十九年)の二月ごろ、自宅の縁側で撮ったものです。タテの写真のほうには何も変わったところはないのですが、ヨコの写真は心霊写真ではないかと思うのです。
後ろの窓ガラスに、私の影が映っているわけですが、その顔がどう見ても、私の顔だとは思えないのです。一番不審に思った点は口です。私の口からは歯が見えていますが、後ろの窓ガラスに映っている顔は口をつむっています。それに、私の顔ならばもっと後ろ(写真でいうと右)でないとおかしいし、もっと横向きに映るのではないかと思うのです。窓ガラスに映っている顔は、男の人のように思います。写したのは、私の母でその場には私と母の二人しかいませんでした。
もちろん、合成写真などではありません。地縛霊かなにかでしょうか。鑑定をお願いします》
(中岡俊哉編著『続 恐怖の心霊写真集』より引用)
思わずぎょっとしてしまうような、恐ろしい写真である。なんとガラスに映った顔が、別人の顔なのである。Bと記された写真の方の、ガラスに映り込んだ顔が、別人の、それも男の人の顔のように見える。被写体の上村さんは笑っているのに、映った顔は真顔で、むっつりと正面を睨んでいるかのように見える。まったくもって鳥肌が立つ恐ろしい写真だ。
【上村さんの写真の解説・鑑定】 |
こんなふうにもし、日常で何気ないスナップ写真を撮り、ガラスに映り込んだ自分の顔が、まったく別人の顔をしていたら、どれほど驚くだろう。いや、卒倒してしまうかも知れない。これまでのタイプの心霊写真のような、ぼんやりと影のように霊体が写り込んでいるというのとは違い、この上村さんの写真は、被写体である上村さんの存在理由そのものを真っ向から否定するような、強い霊的な怨念を感じさせ、とても恐ろしい。想像すればこの場合の霊は、上村さんに直接何か訴えたかったのではないだろうか――。
中岡先生の鑑定によれば、Aの方の写真もおかしいのだという。ガラスに映っているのは女性の顔ではない男の顔。やはりその口はかたくむすばれている…。おそらく誰かの浮遊霊であろう、と中岡先生は結論付ける。ただし、上村さんには何の害もないので心配はいらないとも書いてあった。しかし、そうだとするとなおさら、何故霊体はこのような仕業をしたのであろうかと、疑問が残る。
§
世の中で、“オカルト”なものに接する時、その“オカルト”の範疇でとらえ、受け止め、言説した方が、社会的には(あるいは政治学的には)功利である。変に科学的な、客観的かつ生真面目な現象論を用いだすと、良識なる“オカルト”の世界そのものが破綻してしまうからだ。“オカルト”は、永久に“オカルト”であった方がいい。
そうしたことをみずから壊す余話を最後に敢えてしてしまうけれど、例えば、東村山市の上村さんが写した2つの写真などは、やはり明らかに、現場での作為による演技写真であることが、いまならよく分かる。
とどのつまり、ほぼ同じアングルで撮られたはずのAとBの写真を見比べれば分かるとおり、何故か、ガラスに映り込んだ上村さんの陰の角度がずいぶんと違うのである。地球物理における光の反射や屈折、または透過の法則理論としては、甚だ不自然である。
不自然だからこそ、「超常現象」なのだ、“オカルト”なのだ――でちょうどいい。余計なことを詮索して、付け加えて考察してしまうと、“オカルト”の妙味が半減してしまう。したがって、これ以上の無闇な考察の後追いは――しない。
しかしながら、一方で真剣に心霊写真として受け止めていくと、浮遊霊とは何なのか、地縛霊とは何なのか、ということに、別の観念上の政治学的要素がはらんでいることに気づかされる(これが古代ケルト人のドルイドを連関させるのだが)。
そのことを突き進めて考えていくと、それはずばり、力そのものなのだろう。霊とはすなわち、人々に与える力の姿ということが言える。弱者に対する善い効果をもたらす力と、人をねじ伏せる悪い効果をもたらす力という意味では、古代から人々は、霊というものに対して、それなりの礼節と工夫を凝らしてきた、はずなのだ。
こうして私は、47年前の写真を、飽きもせず、いまだに食い入るように眺めている。ある意味、霊との対面でもあり、懐かしい中岡先生との対話でもある。そういったことを愉しんでいる。
「地縛霊 恐怖の心霊写真集」はこちら。
コメント