遅ればせながら『早春物語』

 小学校時代の幼馴染みで、女優・原田知世さんのデビュー当時から彼女の大ファンだった男友達のHは、私と同じ工業高校まで腐れ縁であった。その日々を懐かしく想う。
 20代の後半期に差し掛かった頃、別の友人の結婚披露宴(「司馬遼太郎の『ニューヨーク散歩』」参照)に出席した際、私はHと8年ぶりに再会したが、その頃の私たちは不遇な独身生活のままであり――これを書いている今も私は独身であるが――それ以降、彼が結婚して新しい家庭生活を送っている云々などの噂話や言伝は、ついに聞くことがなく縁が途切れてしまったのだった。

 小学校時代に彼が、原田知世さんに対し過剰なくらいの思いをつのらせて、その明るさの中でのたうち回っていた姿は今でも忘れがたい思い出であるし、あの頃、クラスじゅうでそれを知らぬ者は一人もいなかった。原田さんへの“ベタ惚れ”の度合いは、子どもにしては少々「のぼせ上がっていた」ほどに度が過ぎていたと思われる。
 それでもいま考えると、無理もない話なのだ。
 まだ10代だった原田知世さんの魅力というのは、まるで天使のようであったし、少女が徐々に大人びていくような神々しい輝きがあった。メディアを通じて彼女の姿を俯瞰して見ていた私からしても、その仄かな瞳のきらめき、あるいはひたむきな眼差しの柔らかさ、か細く虫の音のような声にいたっては、実に不思議なほど透明感を覚えるものであって、心から親しみを込め、出逢えることを夢見る女――なのであった。

 彼、Hの中学校時代における“原田知世愛”は、おそらく絶頂期を迎えていたに違いない。
 若き原田知世さんが、恋に恋する高校生役を演じ、大人たちを翻弄していくストーリーの映画『早春物語』が公開されたのは、1985年の9月のこと。私とHはまだ幼い中学1年生であった。

孤独な日々の中学時代

 1985年――。
 その年には、76年ぶりにハレー彗星が地球に接近したのだった。
 経済大国といわれた日本が、大手を振るって世界を駆け巡っていた時…。日本電信電話公社が日本電信電話株式会社(NTT)になった。日航のジャンボ機が、相模湾上空で異常をきたし、群馬県の御巣鷹山に墜落した事故もあった。死者522人の大惨事…。それからあの頃、エイズ(AIDS)の患者が国内でもぽつりぽつり現れているというニュースが大きなトピックにもなり、世間はざわめいた。偏見やら差別が横行したのだ。流行語はおニャン子、キャバクラ…。

 丸刈りの中学1年生であった私は、小学校時代の友人たちと疎遠になった淋しさを感じていた。新しい学校生活に馴染めず、物事に対する意欲を失い、孤独な心持ちの日々が続いていた。とてつもなく不安な思春期だった(「さだまさしの『軽井沢ホテル』」参照)。
 幼馴染みのHとは、別のクラスになって離れてしまっていた。だがかろうじて、交友関係は続いていた。時折しゃべくりまくる“原田知世愛”の会話からは、彼の陽気な純朴さに救われる面があり、彼は孤独さとは無縁の人で、誰とでも親しくなって友達も多く、小学校時代とは違う心持ちで“原田知世愛”を熟していった純情な少年であったのだ。

原田知世さんの『早春物語』

 これ、恋だと思う。
 逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて 逢えない…
 少女は女になった。男は少年になった。

 中学生のHが、ある意味において真剣に原田さんに恋していた姿は、さながら年上の女の子に恋い焦がれる少年といったところであった。映画ではその逆、原田さん演じる高校生が年上の男性に恋をしたわけで、その映画を観たHは、自身の恋が完全に打ちのめされた気がしたのだろうか。あるいはそうではなかったのか。少年としての面影が消えつつあり、大人の影がちらちらと見えるようになっていた最中であった。

 その頃私は、『早春物語』を観ていなかった。不覚にも自身において、それが“観るべき映画”だとは思っていなかったのだ。
 Hが一つの大きな恋――映画の中の物語を疑似体験した己の恋――を終わらせ、それを「過去の恋」として履歴したことなど、知る由もなかった。一つ二つの恋を経験していた私にとってそれは、早春などとはいえない遅ればせながらの恋のめざめではないかと高を括っていたのだ。徐々に大人びていくHの心の変容の近因に、私は無関心だったのである。

 ――澤井信一郎監督の映画『早春物語』。
 主演は原田知世、林隆三、仙道敦子、早瀬優香子、田中邦衛、由紀さおり。原作は同名小説の赤川次郎。プロデューサーは角川春樹。角川春樹事務所創立10周年記念作品。

 鎌倉の高校に通う17歳の沖野瞳(原田知世)は、真面目で純真な女の子であった。それでいて親友の牧麻子(仙道敦子)の恋愛話には鋭敏に心をふるわせ、自身のまだ芽生えていない淡い恋心への衝動――「恋に恋い焦がれる」年頃であることも感じていた。
 瞳の母親はすでに亡くなっていて、いわば父子家庭だった。ただし、独り身の父親(田中邦衛)には再婚相手がいて、継母となる大宅敬子(由紀さおり)との関係においては、なんとなく距離を置く、心から馴染める相手ではなかった。彼女に冷ややかな態度をとる17歳の瞳にとっては、新しい家族となるであろう大人の女性への、精一杯の抵抗のつもりなのであった。

 写真部に所属している瞳は、「春」をテーマにした写真撮影のため、鎌倉にでかけた。その近辺の寺社で偶然、中年の商社マン・梶川真二(林隆三)と出会う。
 梶川は、アメリカの片田舎で“くず鉄”を扱う42歳独身の男。事業の失敗で日本に引き揚げてきたのだ。そうした梶川が鎌倉で偶然ながら瞳と出会い、ひょんなことで食事を奢ることになり、なんとなく意気投合する面があった。そうして知り合った二人の関係は、次第に深まっていくのだった。

 母親の大学時代の旅行写真の中に、梶川とよく似た青年が一緒に写っていた。瞳はすでに、梶川に恋していた。しかし、疑念が湧いたのだ。
 母親のその頃のサークル仲間だった中年女性と面会することができた瞳は、写真の中の青年が、やはり梶川であることを知った。中年女性はこんなことをいいだす。

「梶川って冷い男でね。商社に就職して海外駐在の話が決まった時、貴女のお母さんと仕事をはかりにかけて、結局お母さんを捨てたのよ」

 梶川に対する疑惑――。そうした気持ちがつのって、瞳はといつめるのだった。そして母を裏切った酷い男と罵り、自身の恋の裏切りともいえる事態に自らを恥じ、否定し、梶川の影を振り払うかのようにして去っていく。
 梶川に裏切られた母への思い。傷心の挙げ句に父と結婚したのだと瞳は傷ついたが、もはや梶川に対する自身の恋心をかき消すことはできなかった。

愛すべき映画として

 当時の映画のパンフレットによると、プロデューサーの角川春樹氏は、《赤川次郎氏の原作「早春物語」は、あらかじめ、原田知世の主演を念頭に置いて書いて頂いた》と述べ、《演出は傑作「Wの悲劇」の澤井信一郎監督にお願いし、予想通りの、或いは以上の傑作を創り上げて頂いた》と述べている。
 実際、澤井監督は、演出のみならず演技指導の域に達した細やかな手腕を発揮した。原田さんはこの映画で大いに俳優とはなにか、映画とは何かについて鍛えられたのである。澤井監督の批評に関しては、イラストレーターの和田誠氏がこんな文章を寄稿している。

澤井監督の第三作「早春物語」は、原田知世のための映画である。ここでも人気者の知世を大事に見守った上で、一段と成長させるという方針がとられている。(中略)
 澤井監督は人間を観察する。そして小さな仕草を見のがさない。何げない仕草であっても、それがその人物の心理や人生に大きく関わっていることがあるからだ。セリフもそうである。だから非常に入念に調査をする。「早春物語」でもたくさんの女子高生に取材をし、その心理を理解しようと努めた。それがシナリオや演出に反映する。そうしてリアリティをもつ。

映画『早春物語』パンフ/和田誠「愛すべき映画」より引用

 この映画に登場する主人公・沖野瞳は、海の見える環境で育った健気な高校生であった。単に海辺の町に住んでいた――という状況だけにとどまらず、彼女に何か、心の変化を落ち着かせ、時にざわめかせるような、逡巡な態度を拒む環境下にいたと思っていい。
 親友の麻子が自身の恋と性をゆりかごのように揺らしながら独り立ちしようとする姿に煽られ、瞳は、何かを待っていた。まさに、春なのだ。偶然にも一人の男が現れ、彼女は心の危うさを思いながらも近づいていった。それが恋の始まりであった。
 瞳は17歳にして熱い恋を経験し、男が他国に去っていこうとする別れの瞬間をも経験した。泣き叫びたいくらいのつらい思いを胸に秘め、逆にひょうひょうとした態度で彼女もその場を去った。映画のラストにおいて、彼女はこんな言葉を残した。「わたし、過去をつくったもの」。

 親友の麻子が「なに? それ?」と聞き返す。瞳はこう答えた。

「苦しい恋のこと。過去のある女になったのよ」

 映画は終わった。
 想像をめぐらせば、瞳はやがて、青年と恋をするだろう。その彼氏と添い遂げるかもしれない。だが、過去の恋とは「秘密」そのものなのだ。自分だけしか知らない「秘密」の小箱のようなもの。

 貝殻をあしらった「秘密」の小箱を開ければ、清らかな音色のオルゴールが鳴る。だがそれを開けることはもうないかもしれない…。

§

 瞳が経験したような17歳のあの恋だけは、永遠に「秘密」なのだ。二度と味わうことのない可憐な恋の苦み。その痛手であり、陰影である。そういえば、あの頃映画を観たに違いない友人Hにしても、同じくその苦い恋の痛手を味わったのではないだろうか。
 ゆえに私は、そんな朋友の青春を、知り得なかった。
 知らないあいだにあいつは成長し、本当の恋を経験し、かの人とやがて添い遂げたに違いない。遅ればせながら私は、今頃観た『早春物語』で、そうした友人の恋の面影に気づかされたのだった。遅ればせながらの、春である。

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