映画『人間の証明』―消し去れない過去
森鷗外
人新世のパンツ論⑰―特別編II・フンドシと森鷗外の『ヰタ・セクスアリス』
【わたくし、鷗外さんとはあまり縁が無いと思っていたが…】 「人新世のパンツ論⑭―最終回・愛しきフンドシは二度ベルを鳴らす」では、かつてフンドシが、「日本民族」の「精神的支柱」だった云々をテーマにした。そこでは、私自身が穿いた“フンドシ風”...
人新世のパンツ論⑮―編集後記・レナウンのワンサカ娘
昨年の11月より開始した「人新世のパンツ論」シリーズは、およそ10か月間、不定期連載を続け、先月14回目の「人新世のパンツ論⑭―最終回・愛しきフンドシは二度ベルを鳴らす」で無事に脱稿することができた。振り返れば、平易なパンツ論でありつつ、少...
志賀直哉の『清兵衛と瓢簞』
【志賀文学に初めてふれた「清兵衛と瓢簞」】 全く近頃、志賀直哉の文学作品にぞっこん惚れ込んでしまった――。 彼の掌編「范の犯罪」など、それは見事な文体である。ある若い中国人の奇術師が起こした事故(あるいは事件)から人間省察にいたる筆致は、日...
天才浪曲師・桃中軒雲右衛門
【貴重な雲右衛門の写真がその本に掲載されていた】 前稿「地縛霊 恐怖の心霊写真集」で触れた『地縛霊 恐怖の心霊写真集』の著者である心霊研究家・中岡俊哉氏――。私は中岡氏を以前から、敬愛の念を込めて、“先生”と勝手に称している。 中岡先生...
高校で学んだ「清光館哀史」
【高校の国語教科書から柳田国男「清光館哀史」】 高校の国語教科書にあった柳田国男の随筆「清光館哀史」を初めて読んでから、28年の歳月が流れた。この時の国語教科書についても、また「清光館哀史」の――国語の先生の何故か異常なくらいに熱心で執拗...
思い切って森鷗外を読んでみよう〈二〉
【光村図書の国語教科書『国語3』】 中高生の「読解力」が不足しているという前回の話の続き。であるならば、思い切って明治の文豪・森鷗外の小説を読んでみようという魂胆である。 ごく最近の、中学3年の国語教科書、光村図書の『国語3』(平成28...
思い切って森鷗外を読んでみよう〈一〉
【「教科書の文章、理解できる?」朝日新聞デジタルより】 中高生が本を読まない、「読解力」が不足しているということが、昨今あちらこちらで聞かれる。どの程度?ということがよく分からなかったから、ふうーんってな具合で聞き流していた。しかし本当に...
黒田清輝―赤き衣を着たる女
【東博『黒田清輝―日本近代絵画の巨匠』】 先月の19日、上野・東京国立博物館にて『生誕150年 黒田清輝―日本近代絵画の巨匠』を観た。 良く晴れた午前。新緑に満ちた公園を抜けて東博の敷地に入り、ユリノキを見上げたその足で平成館に向かうと...
リルケの駆け落ち話
【またもや登場の高校国語教科書『新現代文』】 馴染みの薄い作家を読むと、ゾクゾクとするものを感じる。 この場合の馴染みが薄いとは、存在を知っていながらもわざと遠慮して、理解を恐れ読まずにいた、という意である。 以前ここで書いたこと...
私の書肆文芸論
日本の書店は文芸たり得るか。 書店における「ネット対リアル店舗」の競争の激化は、それ一つを俯瞰すれば、文化史的に書店謳歌の時代を顕しているとも言える。 敢えて私の独断で具体例を出してしまえば、それはAmazon対丸善&ジュンク堂対紀伊國...