アランの『定義集』

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2009年11月25日付「アランの『定義集』」より)。

 久々に新宿の紀伊國屋書店に立ち寄ることができ、目的の『柳宗悦 民藝紀行』(岩波文庫)を買おうと中をパラパラとめくった次の瞬間、『アラン 定義集』(神谷幹夫訳・岩波文庫)が目に入り、結局そちらを持ってレジへ向かいました。今考えれば両方買えば良かったのに、何故か後者の内容に惹かれ、前者を忘却してしまいました。
 話は少し脱線しますが、ちょうど10年ほど前、PHSを利用していた私はシャープの「MI-P1」(通称:ザウルス・アイゲッティ)のブリリアントブルーの方を買って、インターネットを初めて経験しました。 ケータイ端末、しかも料金課金制なのでつなぎっぱなしはできません。ウェブの更新時だけネットに接続(長くて1分程度!)し、それ以外の閲覧の時は接続を切って“オフライン”でウェブを見ていました。ブロードバンドや24時間接続などまだ夢だった頃の話です。
 やはりその頃のネットの楽しみとしては、見知らぬ者とのメール交換が最たる目的でした。私とほぼ同い年の、北海道に住むとある女性とメル友となり、頻繁にメール交換をしました。
 彼女が日常の機微に触れる時、よく『ラ・ロシュフコー箴言集』(岩波文庫)を引用してくれました。さて今、私の自宅の書棚のどこかに、この箴言集が在ったような気がしたのだけれど、記憶が曖昧です。
 ともかく、往々にして何かに毒した時―それは大抵三種の欲望のうちのどれかですが―箴言集の中にこうあります…、と彼女が制して(宥めて)くれて解決しました。これは本当にインターネットの“古き良き時代”の話なのです。
 さて、いま私は『アラン 定義集』を片手に、まず真っ先に「時間(TEMPS)」の項目(アランが定義したカード)を刮目します。ここでアランはデカルトの言葉を引用して、〈神自身も、起きてしまったことを起きなかったようにすることはできない〉と書いています。写真を見る限り、エミール・シャルティエはまったく夏目漱石と瓜二つであるけれども、彼はこの言葉を引用することで、定義集の大原則を述べた、語ったと私は解釈し、この定義集を信託します。自らは神でないこと、神もまた神でないことの静観です。
 しかしそれが「時間」を語っているという点で非常に深い。この本の解説でも触れられていますが、アランは各項目の定義をカードに書く際、満足できない時は加筆せずにもう一度書くことを選んだそうです。少し非合理のようですが、何かそこには「時間」との関わりや彼の文筆上の信念や秩序が秘められていそうです。

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