※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年2月1日付「ライ麦のK先生」より)。
ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger)氏が1月27日に亡くなりました。
それを知った私は、個人的なあることを思い出しました。
私が卒業した工業高校の担任が、卒業文集か何かで、『ライ麦畑でつかまえて』に触れていたこと。私はそれでJ.D.サリンジャーという作家を知ったけれども、彼の他作品を読むことはおろか、『ライ麦畑でつかまえて』を読むことは一度もなかったこと。ただし、“サリンジャー”“ライ麦”と聴くと、その高校の担任を思い出すこと。
私が19年前に高校を卒業した時の、担任K先生のその作文は、いったいどこで読んだのか。あるいは卒業文集ではなかったのではないか。
背が低く童顔で若かったK先生(英語科・男性)は当時、僕らと同じ高校生だろう! と冗談を何度も言ったほど、一般的な先生らしからぬ優しい人でした。
最近、どこかの雑誌の企画で、女性記者がまとめた「男子校に突撃潜入」のようなコラムがありましたが、それにも輪をかけて工業科の男子校(本当は男女共学でありながら、女子生徒が僅少のため、実質的に男子校という意味)というのは、先生と生徒の関係が「どつきどつかれ」の関係であったし、特に田舎の高校でもあったため、下品で粗暴で粗雑で無作法な生徒が多い、わけですが、それは「=不良」という意では決してないのです。しかしそれでも、交通事故で亡くなる生徒が年に数人いたことを考えると、世間的には悪い生徒が大勢いると思われても仕方ないかもしれません。
そうした“厄介な”生徒を抱える男子学級を受け持った先生達というのは、どれほど精神的にタフでなければならないか、今振り返れば本当に頭が下がりますが、K先生はそんな我らを諭すために、『ライ麦畑でつかまえて』を用いたのだと思います。
さて、その作文が高校時の印刷物の中のどこにあるのか、探してみることにします。
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