※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2010年7月31日付「会津の町にて~些末な写真から」より)。
【会津若松市を散策】 |
会津旅行の思い出…まだ本題には入りません。
今回、旅行に持っていったカメラは、Olympus E-P2(M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6)。
確かに真夏の日中ではファインダーがないのは辛いのですが、慣れてしまえばけっこう液晶モニターで十分撮ってしまえるものです。本題に入らずに、カメラを持っているとつい撮ってしまう写真について。
よく私は道を撮ったり、町並みの全景を撮ったりしますが、“ビルの壁”というのもけっこう撮ってしまいます。町並みというのはある意味、一期一会であって、何年か経つと家や商店がなくなっていたり駐車場に様変わりしていたり、あるいはもっと年月が経つとその時代の流行やファッションを反映した造形を垣間見ることができるので、気に入った町並みはこれといった被写体を見つけられなくとも必ず撮ってしまうのです。
ここでは、会津若松市内のとある場所で2カット。
【とあるビルの壁】 |
道路に対して垂直に伸びた電信柱がゴチャゴチャとしている感じ、遠くに鉄塔が聳えている様子の1枚目。実は道路の歩道側の前方におばあちゃんが歩いていて、こちら側に向かってきたのでシャッターチャンスと思ったのですが、カメラを挙げた途端、ささっとフレームから外れて逃げてしまう始末(笑)。堂々と普通に歩いていただければいいのに、私が邪魔なのね、と気を遣われてしまうわけです。
2枚目の写真。ビルの壁面の質感というのは、色彩であり、建材であり多種多様で、いろいろな造形をしています。私はそういった「壁」の質感が好きです。
それはそうと、写した瞬間は気づかないのですが、じっくり写真を眺めると、ビルのガラス窓にはポットなどが写っていたりして生活感が滲み出ています。写真というのはその一瞬を切り取り、フレームの中に実に豊かな情報を光学的に記録してくれるわけですが、写真を眺めなければそういう豊かな情報を引き出すことはできません。当然ながら、歩いてその場に行かなければ写真は撮れないのですから、「撮る」のも「眺める」のもそう容易なことではないことに気づかされます。
総じて、無機質なものにこそ、引き込まれるということが、個人的な意識の中には、あるかもしれません。
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