ウルトラ警備隊西へ

※以下は、拙著旧ホームページのテクスト再録([ウェブ茶房Utaro]2010年12月21日付「ウルトラ警備隊西へ」より)。

【所有していたキング・ジョーのフィギュアを撮影】
 地球防衛軍ワシントン基地が打ち上げたペダン星への観測ロケットは、彼らにとって生物存亡の危機に瀕する未曾有の事態であり、社会の安寧秩序を乱す言わば「黒船来襲」であった。彼らはその報復策として、地球に諜報員を送り込み、果断なる行動すなわち神戸の防衛センターに結集する各国の科学班チーフらの暗殺を決行した。
 金髪の女性、ドロシー・アンダーソンはワシントン基地から来日した科学者である。地球防衛軍極東基地のウルトラ警備隊は、彼女の護衛を任命され、神戸へ向かった。しかしそこで彼女を狙ったのは、ペダン星のスパイと思われる謎の白人男性であった。
 その頃、南極から秘密裡に日本の博多港へ向かっていた潜水艇がペダン星の宇宙船団によって襲撃され、乗艇していた二人の科学班チーフは潜水艇もろとも海の藻屑へと消えた。
 やがて宇宙船団は合体ロボットと化し、六甲山の防衛センターの前にスーパーロボットとして現れ、破壊行動を開始した。モロボシダンはセブンとなったが、この強靱なスーパーロボットを倒すことができなかった。
 一方、神戸港でドロシー・アンダーソンが謎の白人男性に再び狙われた。しかし実は、ドロシーこそペダン星人のスパイであり、本物の彼女を護衛していたのが、謎の白人男性すなわちマービン・ウエップという秘密諜報部員だったのだ。
 姿をくらましていたドロシーを発見したセブンことダンは、そのドロシーの姿を借りたペダン星人と直接会い、ペダン星人への攻撃を中止する条件として、地球撤退と本物のドロシーを解放することを約束させた。しかし解放された本物のドロシーは記憶を消されており、セブンとの地球撤退の約束とは裏腹に、ペダン星人はさらなる地球侵略の作戦行動を進めた。裏切られたダンは再びセブンとなってスーパーロボットと相対する。
 彼らの侵略作戦を止めることができないセブンとウルトラ警備隊であったが、運良く本物のドロシーが記憶を回復させ、防衛センターの土田博士とともに、ライトンR30という強力な爆弾を製造することに成功。スーパーロボットを見事に破壊することができた。ペダン星人の宇宙船団は地球から撤退し、地球は彼らの魔の手からかろうじて逃れることができた。
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 以上が、脚本・金城哲夫、監督・満田かずほ(禾へんに斉) のウルトラセブン第14話・第15話「ウルトラ警備隊西へ」〈前後編〉の粗筋である。
 1972年生まれの私が、円谷プロのウルトラシリーズを初めてリアルタイムでテレビ視聴することができたのは、1973年から74年にかけての『ウルトラマンタロウ』の頃で、生まれた年に始まっていた『ウルトラマンA』は初回放映で視聴した記憶がほとんどない。特に『ウルトラマンタロウ』のあたりの雰囲気は、何の躊躇もなく勧善懲悪を軸とした子供向けバラエティの様相が強くなり、それはウルトラシリーズの原点回帰であると同時に、「地球」と「宇宙」における生真面目なサイエンス・フィクションのテーマ性として失ったものも大きかった。少なくとも幼少であった私は、それが何であるか気づくはずもなかったが――。
 そうしていずれかの子供時代に、『ウルトラセブン』のシリーズ再放送分を視聴した。個性豊かな宇宙星人が富みに登場したが、それぞれ重々しいテーマが連なり、セブンは単なる勧善懲悪のヒーローにはなり得なかった。タロウとはまったく異質なヒーローであることは、子供ながらに感じることができた。
 1968年1月7日と14日に初放映された「ウルトラ警備隊西へ」〈前後編〉は、セブンシリーズの白眉と言える作品で、テーマは「侵略」そのものであった。確かに第14話から翌週放映の第15話へと2回にわたる前後編のスペクタクルに魅了されたし、前編は特にサスペンスに満ちていて眼が離せない昂奮を覚えた。第14話の最後のカットがキープレイスと言えるもので、ウルトラセブンを押さえつけたキング・ジョーが今その瞬間に強烈な一撃を放たんとするストップモーションで終了する。セブンの死をも予感させる伝説のカットである。
 ペダン星側にすれば、地球からの未通達による観測ロケットの飛来は、唐突な領空侵犯であり侵略行為であった。彼らは地球に対し強い報復措置を試みた。セブンとペダン星人による宇宙人同士のあの非公式な「談話」は、そのお互いの惑星の損益を回避するための、言わば道徳的な信義的な解決手段であった。ダンはそのことに対して自信とも思える表情すら浮かべる。
 だがそれは、セブンとしての自尊の驕りであった。やがてペダン星人の思惑がそうではないことが発覚する。彼らの欲望は、警告的な範囲での報復ではなくなり、実体としての侵略行為へとすり替わっていく。そんな彼らの暴力的な欲望を前に、ダンはセブンとしての矜恃を粉々に打ち砕かれてしまう。
 と同時に、視聴している我々は、ヒーローでさえも脅かすものに対する無力さを感じないわけにはいかなかった。むしろヒーローに寄りかかる不安と危険すらを感じた。気づいてみれば、ペダン星人もウルトラセブンも、正義と悪の代理戦争ではなくなり、それぞれの惑星の公益と建前づけられた恐るべき《欲望》=惑星我を発露するための、泥沼と化した不条理な戦争に巻き込まれていたのだ。
 最終的にペダン星人操るスーパーロボット=キング・ジョーはウルトラ警備隊の新型兵器によって破壊され、ペダン星人の侵略作戦は失敗に終わるが、正義の味方が勝った爽快感はない。一つの危機が去ったのみである。
 『ウルトラセブン』放映終了2年後の1970年に開催された、万国博覧会(大阪万博)のテーマは「進歩と調和」であった。私はこの2つの熟語の持つ響きが意味深で好きである。いわゆる宇宙時代と称される、米ソの冷戦構造を示唆したあの時代を象徴する究極的なテーマこそが、「進歩と調和」であったのではないか。その背後に政治の暗い影と人類の重苦しい息づかいが潜んでおり、尚のこと人々は「進歩と調和」を肯定的に受け止めようとした。
 脅かすものと脅かされるものとの戦争は、敵も味方もない、正義も悪もない、ただ強大な力と力のぶつかり合いと血と血を流し合う愚かな悲劇があるだけで、『ウルトラセブン』の「侵略」性の問題は人類的、時代的な「進歩と調和」へのアンチテーゼとなっている。
 すなわちここでの対義は「退歩と衝突」である。「科学技術の進歩」と「文化の調和」の不均衡・不干渉はまさに「科学技術の退歩」と「文化の衝突」となり、「侵略」性の問題となる。ただしこれらは、地球上からおよそ永久に消えることないテーマであり、国際平和という名の蓋をした、単なる見えない暗渠であるだけなのかもしれない。

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