それぞれの日記による円環

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年2月16日付「それぞれの日記による円環」より)。

 先日の「クリスマス・プディングの話」の中で紹介した、『青年小泉信三の日記』(慶應義塾大学出版会)を散読しました。時代背景もさることながら、なかなかこの人の文章がたっぷりと情緒に溢れ、若々しく、面白いのです。
 まだ散読に過ぎないのですが、一つ発見したのは、明治44年6月20日の日記のところ。私のブログ(2011年1月3日付)の「+Z項と木村栄博士のこと」で夏目漱石(「学者と名誉」)が木村栄博士について触れている内容が、小泉信三氏の日記でも読み取れるのです。前者で示した、明治44年の7月に木村博士が帝国学士院の恩賜賞を受賞という内容と、小泉信三氏が明治44年6月20日の新聞でそれを知ったことは、時期的に合致します。
《新聞で読んだ事だから書いて置く。地球の地軸の方向は移動するものだそうだ。地軸はあたかも振子のように現在の赤道(地極から九十度の点の軌跡が赤道なのだから、地軸が動けば赤道も無論動く、だから「現在の」と云う字を付け加えたのだ)の方向に向って動き、ある程度まで達すると元に皈ってまたさらに反対の方向に動く、この一ピリオッドが少くも二万年かかる。而して地軸従って地極が移動し、赤道の位置が変れば地球の形状も変らざるを得ない。地球の直径は地軸に於て最も短く赤道に於て最も長いのである。これが変って来なければならぬ。岩石はこの極めて徐々たる地球の変形に耐える力を持っているが、海湖等は地球の変形に連れて自ら形を変えて来る。木村理学博士の発見はこの地軸の移動の計算に干する従来学説の誤謬欠点を正したのだと云う》
(『青年小泉信三の日記』より引用)
 さて、私が今日、旧サイトから復刻したエッセイ「蔵書森」には森鷗外について触れています。彼は明治32年に小倉の第12師団に赴任しますが、明治43年には慶應義塾大学の文学科顧問に就任します。つまり小泉信三氏と繋がっていきます。
 そして最後に、個人的なことですが、「蔵書森」について。
 私のプライヴェート日記(2008年9月24日付)から一部を以下、引用しておきます。
〈この作業の合間に、松本清張とその友人の恩師を知る旅―2005年小倉・門司への旅―を少し読んで思い出し、「秋吉茂先生」を何気なく検索にかけた。至極単純に近況を知りたかったからだ。だがその結果は正反対で、”故人”という文字が連なって抽出された。情報によれば、秋吉先生は2003年に亡くなっていた。私があのエッセイを書き下ろした2年も前にである。その時点では亡くなったことは知るよしもなく書き綴った。むしろ、どこかで会えるのではないかと再会を願って書いたように思う。本当にいい恩師であった。合掌〉

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