※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年6月19日付「抜け落ちている責任」より)。
6月の梅雨の蒸し暑い、夜になると喉が渇いて水を飲み干したくなる日々。
学校という場での実体験(あるいは訓練)はないものの、“毎朝10分の読書”が社会人になってから身につき、むしろ小説のたぐいを頗る長く、深く楽しむコツを初めて覚えたのは、もう何年も前に遡らなければなりません。
しかし3.11以来、朝の集中力は小説にはあまり注がれず、朝刊新聞を食い入るように読むようになってしまった。10分はあっという間に過ぎていく。
【朝日新聞朝刊「定義集」より】 |
先日の朝日新聞朝刊、大江健三郎氏の「定義集」を深読みするためにコピー機で複製し、それをじっくり目を通して、“気になった”文章に赤鉛筆で傍線を引いた――(このやり方については2010年12月31日付ブログ「ある講義の話」参照)。
2箇所の傍線の部分を引用してみます。
《いまそれと規模をひとしくする福島原発の事故が起こって、国内の出来事にとどまらず、世界的な放射性物質による影響を(この現在)もたらしているが、その巨大な犠牲に誰が責任をとりうるか、です。自分の経験からいうなら、誰も責任はとらないのではないか?》
《大変な被害を受けたけれども、今度の事故にかんがみて、よくそれを点検し、これを教訓として、原発政策は持続し、推進しなければならない。(中略)それが今日の日本民族の生命力だ。世界の大勢は、原子力の平和利用、エネルギー利用を否定していない。》
後者は朝日新聞のインタビューを受けた中曽根康弘氏の言葉。
偶然ながら、ここ最近のブログの記事にある私の小学4年生の思い出と、彼が第71代の内閣総理大臣になったのは1982年の同じ時期です。小学校の卒業アルバムにもその中曽根氏の顔が印象深く記されてあるのを見ると、まさにそういう昭和の時代――すなわち中曽根氏の個人的信念と政治的格調によってあの一時代を築いたのだなということを想像するのです。
しかしながらそうした時代の勢い、あるいは個人的信念と政治的格調をもってしても、転じて原発事故の責任は一体誰がとるのか、ということと結び付きません。
《巨大な犠牲》に対する責任。
まさにとりうるのか、という問題です。
18日、海江田万里経済産業相が停止中の国内原発の再稼働を求めると表明。福島原発事故の収束どころか細部の事故現状すら把握できない現在の渦中、他の原発に安全対策が施せるわけがない。まさにこれが日本の“安全神話”の実態であり、責任をとらない体質のありのままの姿ではないでしょうか。
私は「定義集」の複製に少し失敗して、副題の【責任の取り方を見定める】が抜け落ちてしまいました。
いま目の前で動きつつある政治には、このように見えないところで抜け落ちていることが、多々あることを、しっかり全身で凝らしていくことが必要です。
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