『東京人』と震災

※以下は、拙著旧ブログのテクスト再録([Kotto Blog]2011年8月21日付「『東京人』と震災」より)。

 雑誌『ぴあ』の休刊には〈うーん、まあそうだろうなあ〉と私は構えられたけれども、もしもこの雑誌が休刊、あるいは廃刊という話になったとしたら、〈え、それはないだろう〉と口をへの字に曲げて唖然としてしまうでしょう。都市出版の『東京人』。もちろん、それは例え話です。
 90年代の後半、そしてそれ以降、個人的に古い建築(例えば同潤会)やら横丁に興味をそそられて何度かこの雑誌を買いましたが、何か新しい情報を得る、というたぐいの本ではないのです。誤解を恐れずに言うと、骨董を眺める気持ちで“東京”という都市を眺めてみる、という感覚でしょうか。彼処の町で何が出来た――という話ではなくて、あくまで彼処の町で何が消えた――という話(コンセプト)なのです。
 岩波『図書』8月号、丸谷才一氏の連載「無地のネクタイ」(今号のサブタイトル「そのときは皇居を開放せよ」)の中で、丸谷氏は、
《粕谷さんが退いたせいもあつて、わたしはこの雑誌に関心を持つことをやめてゐた》
 と述べていますが、この雑誌とは、『東京人』のことです。ところが、『東京人』7月号「東京を巨大地震が襲うとき」は《眼を疑ふほどの名編集ぶり》と絶賛し、《わたしは感嘆を禁じ得なかつた》とあります。丸谷氏は7月号を気に入ったわけです。
 丸谷氏のコラムを読んでいて刮目したのは、彼が指摘する千代田区における“地区内残留地区”のこと。ここでは詳しく述べませんが、私もざっと調べてみて、この文言というか規定には非常に疑問を感じました。
 震災時としていながらも、何故「火災の延焼」の危険がない旨だけが理由となっているのか。今回の東日本大震災のように、大きな余震が断続的に起こった場合、残留する建物が倒壊する可能性は極めて高いわけで、やはり安全な場所へ避難したい、はずです。そういう意味でも、東京23区の中で千代田区は「安全な区である」根拠が乏しく、むしろいちばんきな臭く危険のような気もします。
 それはともかくとして、丸谷氏お気に入りの7月号の内容ですが、バックナンバーを調べてみると、なんと過去にも同じような内容の号がありました。『東京人』1995年の5月号「東京大震災、そのときどうする!」。こちらは23区避難場所地図が付録のようです。
 因みに、1995年の1月に阪神淡路大震災が起きていることを考えると、『東京人』らしい“引き出し”なのだなあということがよくわかります。ちょうど丸谷氏が関心を持つていなかつたころでしょうか。

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