オホーツクに消ゆ〈三〉

 前回からの続き。
 北海道の道東、オホーツク海に面した網走と知床半島を私が訪れたのは、2007年の7月に近い頃だった。

 きっかけを考えてみると、小学6年で夢中になった『オホーツクに消ゆ』の記憶が遠因であったが、あくまでそれは遠因であり、直接のきっかけは『男はつらいよ 知床慕情』(1987年公開・シリーズ38作目)の映画だった。あの映画での知床の印象の方が鮮烈で、寅さんが見たあのオロンコ岩を、カムイワッカの滝を、一度は自分も見てみたいという思いから実現した旅であった。
 しかしながら、そもそも1987年に公開された『男はつらいよ 知床慕情』を映画館で是非観ようと思ったのは、やはり『オホーツクに消ゆ』の影響があったからであり、これらは私の中で別個ではなく一本の線上の同じ思い入れの作品である。“オホーツク”と聞けば『オホーツクに消ゆ』を思い出し、“マリモ”と聞けば阿寒湖を思い出し、“網走”と聞けばそれは“ニポポ人形”であって、もはや恣意の根深い条件反射となってしまっているのだ。
 ところで、先のページで紹介したゲームソフト『オホーツクに消ゆ』のパッケージ裏面を見れば、PC-8801版のグラフィックは当時のパソコンとしては比較的解像度が高く、発色も素晴らしいものであったことが分かる。一方、私が所有していたPC-6001のグラフィック性能はそれとはだいぶ落ち、解像度が低く、発色もあまり良いとは言えなかった。それでも十分に北海道の旅情を味わえたのは不思議なことだが、内容的に充実していたせいもあって、あまりそうしたことを意識せずに済んだのだろう。
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 『オホーツクに消ゆ』第4の殺人事件は知床五湖で起こる。それまでは晴海埠頭、北浜の海岸、網走港と地味な場所が現場であったが、知床五湖となると、途端に旅情が深まった。美しい大自然の原野で見えぬ人間達の怨念が牙を剥く。知床での一連のシーンは、美と哀しみとが一体となったこの物語最大の醍醐味が味わえる展開部だ。
 さて、知床五湖での殺人事件の捜査では、ウトロの町へ訪れることができる。6年生当時は、この“ウトロ”という言葉がひどく斬新に思え、それ以外の地理的な知識は何一つなかった。画面上では華奢な土産物屋が映っているだけというもの。言うまでもなくウトロとは、網走をさらに東へ行った、知床半島の付け根にある斜里町の港の一角のことである。当時の私は、ウトロの町をまったく想像することができなかった。
 ウトロの町の土産物屋。大きな熊の置物。ペナント。知床では、そんなたぐいの土産物を売っているのだなと楽しんだ。
 そう言えば――。実際に旅をして、そんな『オホーツクに消ゆ』に登場したような土産物屋は在っただろうか――。
 自分で撮影した知床のスナップ写真を探してみた。すると、この店ではないだろうかと思えるような土産物屋が確かに在ったのだ。もちろん場所はウトロ港に近い。
 “郷土民芸品 知床観光みやげ 知床民芸店 カルペ”。
 創作木彫、製造直売とあるから、熊の置物などは当然ありそうである。ペナントは実際に売っていたかどうかは分からない。『オホーツクに消ゆ』の物語は、ファンタジックな世界の話ではなく、道東の実在の場所がモチーフとなっている。原作者の堀井雄二氏が実際に旅をして書き上げたからこそ、こうしたリアリティーのある骨太なミステリーが生まれたのだ。
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 知床と言えば、加藤登紀子さんの「知床旅情」の曲が頭の中で流れ出す。確か、知床観光船に乗ってオホーツクの海岸を遊覧した時、この曲が流れていたように思う。変わらず今でも、不朽の名作として知られる。
 レコードを持っていたので咄嗟に探してみた。ジャケットは真っ白な背景にぽつんと若い頃の加藤登紀子さんが遠くを見つめて座っている。
 何故真っ白なのだろうかと、考えを巡らせた。真っ白な冬景色、オホーツクの流氷。いやもしかすると、この真っ白の背景は、逆にハマナスの咲く夏の瑞々しさを、聴く人の心で自由に思い浮かべてもらおうという粋なはからいだったのかも知れない。
 知床は日本列島の北東、突き出たところ。やはり遠い。

「オホーツクに消ゆ〈終〉」に続く。

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