『煤煙』と平塚らいてうのこと〈終〉

 〈二〉からの続き。
 塩原事件と『煤煙』の連載によって、“情婦”と奇矯に扱われた平塚明が“らいてう”と名を改め、女性のみの文芸雑誌『青鞜』を発刊(明治44年)。やがてこれが婦人解放運動の一里塚となっていったことは有名だが、それより少し前の、明治41年という時代における、男女の社会的従属関係を把握できなければ、塩原事件がもたらした波紋とその社会性を理解することはできないであろう。

⚤凝乎と凝乎と凝乎と

 髙山樗牛の『滝口入道』は、『平家物語』における斉藤時頼と横笛との身分違いの悲恋の物語である。平塚らいてうが女子大時代、文芸会の出し物として『滝口入道』の横笛を演じたと自伝に記されているから、この時の記憶が、やがて塩原事件へと推移する草平との一連の恋愛沙汰に、少なからず影響を及ぼしているのではないかと私は思った。
 一方でらいてうは、仏教とりわけ禅宗の宗徒として「坐禅」による見性を経験する。この点において、草平は彼女の人格形成に対して不見識な解釈と態度を度々取る。草平にはらいてうへの幾ばくかの疑念が生じていた。
《併し不思議な女だ。まるで噴火山のやうだ、灰も噴く、火も噴く、近寄ると硫黄臭い烟の中へ捲込まれさうだ》
《いや、處女だ。何うしても處女に相違ない》
《生れつき為我の強い、容易に人に屈しない女が好奇心に驅られたら、何事をも敢てしないものはあるまい。その上この女は自分の鋭敏な趣味性に従つて、實際は醜い平凡なものを理想化する特殊の手腕を持つてゐる。昨夜なぞもつまり火花が烈しいために、気紛れが情熱とも見えたのだ。この女の感情位性急に燃え上るものはない。宛然爆発するやうだ。あの天上の炎の様に見える淨い情火の下には、汚い肉慾が隠れていないとは何うして云はれよう》
(森田草平著『煤煙』より引用)
 小説ではあからさまにされていないが、最初の出逢いから数日後、草平はらいてうを待合へ誘い、其所で「あなたには性欲がないのか」といった露骨な“性欲問答”を繰り返したという。別の面で草平は、らいてうに夭折をも懇願した。
 これらのように、今日ではサディストとも受け取られかねない草平の卑屈な態度に対して、これまた気風の違った――あるいはまだ未成熟であった――平塚らいてうという個性的な女性との、幸か不幸かの雷電こそが、『煤煙』という小説を生み、草平のロマンチシズムへの情熱を掻き立てる材となったことは明らかであろうし、それが事実をも企図しようとする、男の側の封建的慣習であったにせよ、紛れもなく反自然主義を掲げた草平の自我と作家性との間に矛盾を浮き上がらせた、大きな一幕であったと思われる。
【要吉と朋子が歩いたとされる谷中霊園】
 しかし、そうした作品の創作過程において、いよいよ浪漫派の自己矛盾が噴出し始めた頃に、こうした作品を待ち構える読者という一般大衆の、ロマンチシズムへの煽りが逆に色濃く社会全体に放牧されていってしまう。先述した藤村操の投身自殺しかり、事件に共鳴した少年青年らの後追い自殺が多発した社会心理的構造はこれと同じである。
 『煤煙』の中の要吉と朋子が、不可解な男女関係であったのかそうではないのか、そもそも彼らの内側に、真理としての“ラブ”が介在していたのか否か、私個人はその部分に「言語」と「文学」の滋味を深く見出したいと願う。
 草平とらいてう特有の情愛劇は、普遍的男女間とは切り離されていて難解であり、とかく埋没しかねない。ただ、夏目漱石の外縁に森田草平が存在するという文壇史的(あるいは文学史的)事柄のみが、この作品を忘却しない唯一の機運なのかもしれない。

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