先月、ホームページ上のMessage欄(毎月1回更新)に以下の文章を掲載した。
《「蓬生」(よもぎう)という言葉があります。蓬などが生い茂って荒れ果てた土地のこと。子供の頃はそうした蓬生でいろいろな遊びをしました。
まるで草餅を作るかの如く、“蓬の葉”をたくさん切り集め、捨ててあった小鍋にそれを入れ、水をたっぷり入れて揉みほぐす。蓬の香りが漂い、入れた水がすっかり緑色に変わる。
ただそれだけのこと。ただそれだけのことのために、私は無心になって時間を忘れて蓬生の中を戯れていた――。そこが荒れ果てた土地だったなど、露程も感じぬままに。
そうした頃に私が恋をしていた少女の家が、今も尚、驚くべきことに、“無人の家”として近所に残っています。荒ら屋となり、蓬生となって》
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【採集したヨモギ】 |
先日、そのヨモギを採って遊んだ場所に実際に行ってみて、植物採集の真似事、一つばかりヨモギを切ってきたのだが、どうもこれが心許ない。
まず何より、そうした荒れ地に自ら踏み込んで、そこは荒れた土地で人が寄り付かぬ殺風景な場所――という大人の忌避的な観念がどうしても拭いきれない。子供の時分のような、自由な空間としての黄金郷に立った、あのときめいた感覚は、もう戻ってこない。そこに在るすべての雑草が、何か特別な宝物のように見えていた童心には到底戻れないことを感じた。極めつけは、自分が切り取った草が、果たして本当にヨモギであるかどうか、躊躇するばかりで、そこからそれを遊びに結びつける爽やかな気分には到らなかった――。
それを持ち帰った後、本を開いてみて、どうやらそれがヨモギであることをなんとか信じられるふうに落ち着いたのだが、もやもやとした疑いがまったく晴れたわけではなかった。
《よもぎ(艾)Artemisia Vulgaris L. var. indica Maxim.
山野ニ普通ノ多年生草本。茎ノ高サ60-90cmニ達ス。葉ハ互生シ、羽状ニ分裂シテ裏面ニ白毛ヲ密生ス、香気アリ。夏秋ノ候、茎梢ノ枝上ニ管状花ヨリ成ル淡褐色小形ノ頭状花ヲ穂状ニ綴ル。春日新苗ヲ採リ、草餅ノ料ト成ス。又もぐさヲ製スルニ用フ。民間薬トシテ其效用多シ。島地ニ産スルモノ、時トシテ太ク、杖ト作スニ足ルモノアリ》
(牧野富太郎著『牧野 日本植物圖鑑』(北隆館)より引用)
植物分類学者の牧野富太郎を知ったのも、K先生の植物採集がきっかけであった。その頃はポプラ社の児童向け伝記全集で読んで、彼の凄まじい書斎を写真で見たりしたのを憶えている。私がいま所有している北隆館の『牧野 日本植物圖鑑』は昭和15年のもので、函がボロボロである。しかし、どんな植物図鑑よりも写実的表現で尖鋭で、もう手放すことができないでいる。
日頃、何か心を動かす植物に出合った時、それを写真に記録しておき、牧野図鑑で調べるようにしている。なるべく早く調べることが大切で、そうしなければその時出合った植物は、自分にとって縁遠くなってしまう。
ところで、牧野氏の『植物一日一題』(ちくま学芸文庫)の「蓬とヨモギ」を読むと、本来、蓬はアカザ科のハハキギ(ホウキギ)のことでヨモギではない、源順『倭名類聚鈔』で蓬を与毛木(ヨモギ)としているのがそもそもの間違いだった、といったことが書かれていた。当然ながら、『牧野 日本植物圖鑑』でもヨモギは艾(ガイ)となっている。だから私のMessage欄でも、「蓬生」に対応して“ヨモギの葉”と書くべきであったのだ。
K先生の男らしく力強い声で、「よし、今度の日曜は植物採集だぞ。面白い野草の話をしてやる」といった言葉が、牧野図鑑に宿ってしまっている。少年時代の思い出は、年を重ねる毎に芳醇としてくるようである。※追記(2016.06):本文に〈所有している北隆館の『牧野 日本植物圖鑑』は昭和15年のもの〉と書いていますが厳密には、初版ではなく昭和17年再刷発行版であることが分かりました。訂正いたします。ちなみに所有する図鑑の頒布番号は10913号となっています。
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